2016年9月30日金曜日

10月 15日(土)、16日(日)は名古屋まつり その1




今日、定期券の継続手続きに、名古屋市交通局の定期券窓口に行ったら、名古屋まつりのパンフをくれた。普段、人ごみを避けるリーゼンなので、名古屋まつりなどは一度も行ったことがないのだが、パンフを見る限り、なかなか面白い。…行かないけど。

パンフを見て興味がひかれたとこを、語ろうか。(酒でも飲みながら、ゆる〜く、読んでちょうだい。ハナ金なので)


その1では、名古屋市の姉妹友好都市についての考察と愛すべき田舎、名古屋市への、いらんお世話的アドバイスである(笑)

「姉妹都市」…アメリカ英語で「sister city」なのだが、なぜ女性呼称?と思ったら、イギリス英語では「twin city」。あいも変わらず、本国と同じの、嫌なのね。ちなみに、twinは、双子というより、姉妹にするという意味らしい。

リーゼン的には、都市同士に上下ができるようで、姉妹都市という言い方は、ちと違和感が。友好都市の方が、いいやね。


さて、名古屋市の姉妹友好都市、パンフには五個紹介されており、南京市だけが、友好都市。理由は上下をつけないため。あとの四都市が姉妹都市である。

姉妹都市…ロサンゼルス(アメリカ)、メキシコ市(メキシコ)、シドニー市(オーストラリア)、トリノ市(イタリア)

友好都市…南京市(中華人民共和国)

ちなみに、名古屋市のセントラルパークに行くと、姉妹友好都市の紹介ゾーンがある。意外としっかり作ってあるから、これは見もの。特に、メキシコゾーンの、アステカの暦などは、結構正確に複製されており、必見だよ。


さてさて、名古屋市民でもなく、税金納めてるわけじゃないから、姉妹友好都市についての是非については控えるとして…リーゼンが、つっこみたいのは、市の紋章である。(日本では、市標とか呼ぶ)姉妹友好都市と名古屋市とで、六個並んでパンフに紹介されてるのだが、これはちと…いかんな、と思ったのだ。(興味があったら、名古屋まつりのパンフを手にしてみてくれ)


どう並んでいるか、順番に紹介するぞ。



ロサンゼルス市(アメリカ)




メキシコ市(メキシコ)




南京市(中華人民共和国)




シドニー市(オーストラリア)




トリノ市(イタリア)




名古屋市…わかる?この違和感。紋章というより、記号。

紋章…crest
記号…mark

おいおい、ひどいな、この差は。だって、名古屋の漢字や読み方とも関係ないから、外国人がこれ見たら、「名古屋」じゃなく、「名古八」と書きかねんぞ。「なごはち」…落語に出てきそうな名前だ。

同じかっこ悪い、市標でも…




群馬県大田市の市標。いさぎよい。かっこ悪さは、この上ないが。バス停かよ(笑)




せめて、このくらい、デザインしてほしいなぁ。九つ(く)、カタカナの「ル」(る)、こめ(め)、で久留米。さらに久留米の米と、市標の米がちゃんと同じ。

名古屋がオリンピックとれなくて、市長がくやしいのと、予算が余ったから開催したデザイン博の時に、変えちゃえばよかったのに。



その2では、おもてなし武将隊について、紹介するよ。
では、またね。



2016年9月29日木曜日

思い出の車たち その1 スバル ジャスティー



さて、今日は、リーゼンの思い出の車について、語ろうか。第1回は、スバル製ジャスティである。

リーゼンが大学に入り、バイトして自動車学校に通い…あとで知ったが、安いがムチャクチャ厳しい松電自動車学校に通ってしまい…教官にはけちょんけちょんに言われつつも、1オーバーで、免許をとり…最初に買ったのが、このジャスティー。中古で総額60万だたな。

CMのキャッチフレーズは「火の玉ボーイ」だったな。確か。ツートンの赤色は、なかなかイカしてると思えた。




内装は、こんな感じ。バブル時に作られたから、多分、今の車よりシートはよかったよ、値段のわりに。航空機メーカースバルのコックピット風のインパネは操作性抜群。運転はしやすかったな。

だいたい、運転するのに、インパネはこういうシンプルなのがいいよ。トヨタがしばらくやってた、センターメーターなんて、なんであんなことやるのか、わからんかったもんな。どこに視線やったらいいかわからへん。航空機作るか、F1やるメーカーじゃないと、だめだな、やっぱ。

センターメーターのヴィッツのレーシング車は、わざわざハンドルの向こうに、タコメーターを移してあるもんな。ヴィッツの事故率の高さは、このあたりに原因があると思う。




さてジャスティーの話に戻すと、この車、なんとパートタイム4WDなのだ。あっそう、じゃないのだ。この大きさの車でパートタイム4WDって、ありえん。それも、シフトレバーの真ん中のボタン一つで、FFから4WDに変えれた。これはすごいシステムだったと思う。だってこのころのパートタイム4WDって、トヨタはランクルぐらいしかなく、三菱のパジェロ、日産のテラノぐらいでかい車じゃないと、できないシステムなんだよな。基本的に。それも他のパートタイム4WDが、一度止まって、二駆から4WDに切り替えなきゃいけなかったのに、ジャスティーは走行しながらできた。雪国には、ありがたや〜スバル様の車だったのだ。




ただし…ほめるのは、ここまで。この車、決定的な欠陥があった。

まず、マニュアル車だけだが、マニュアルギアが、シンクロを組んでおり、元気に走れるようにしてあった…のだが、エンジンの回転数をきちんと合わせないと、シフトアップできんし、レーシングカーを運転する時に使うテクニック、「ヒール&トゥー」を使わないと減速時にガックンガックンなってしまう車なのだ。おかげで、そのあと、ダートラの車レースに出る時に役立ったけど(笑)

そして最大の難点は、きっちり5人乗れる、でかいボディのわりに1000ccの小さいエンジンを載せてること。長野県じゃなきゃいいだろうけど、何しろ山国。友達乗せて、登り坂に入ると、2速に入れても止まる始末。結局、1速で坂道上がるから、うるさい、うるさい。車内でエンジン音に負けないような声でしゃべるから、ありえないうるささだった。
さらに、高速でも馬力のなさを露呈し、例えば、中央自動車道の内津峠あたりでは60キロぐらいしか出ない!大型車なみの遅さだった。



でも、まぁ、そこらへんにぶつけてもめったに凹まない、丈夫なボディとあいまって、最初に乗る車としてはよかったな。技量も上がったしね。

この車には二年乗り、次は一番思い出深い、おとぼけ新聞読者にはおなじみの「プレ子ちゃん」にのりかえるのであった。

次は、その2へ。では、またね。



2016年9月28日水曜日

音楽の思い出 その2 KUWATA BAND



リーゼンが、ずっと中学から大好きなバンドが、サザンオールスターズである。時折、TUBEやら、ABBAやら、スピッツやら、ミスチルやらにもいくけども…結局、よくカラオケで歌うのは、サザンだったりする。

さて、サザンだが、長いことやってる中に、桑田さんのソロやら、大森さんのバンド、原由子のソロやらと、バンド以外でイレギュラーな音楽活動をする。その最大のイレギュラーといえば、KUWATA BANDだろう。

リーゼンが高校生の時だったな。桑田さんの嫁、原由子が、育児休暇に入るっちゅうんで、桑田さん、でたらめな音楽やっちまおう!と始めたのが、KUWATA BAND。育児休暇だけに、最初から一年限定のバンドだった。

デタラメ…といえば、何がデタラメかといえば、結構挑戦的な音楽づくりをしてたのだ。特にアルバムは。(実際に聞いておくんなまし)

さらに、今の若者にはわからんだろうが、サザンが出る前の井上陽水や山下達郎の時代は、日本語ではロックは出来ないのか、といわれてた時代があり、洋楽のカバーしかやらない時代があったのだ。そこで、音符と歌詞とかみ合わない、サザンやRCサクセションが出て、日本語でもロックができる、と門戸を広げたことで、バンドブームか来たわけだけど、このアルバムでは、なんと、日本語ではロックはできない。未来は日本、中国、韓国は、全て英語の音楽になるだろう!とわけのわからない回帰ぶり(笑)で、なんとアルバム曲は全部英語。しかし中身は下世話な桑田節、というはちゃめちゃだけど、かっこいい曲ばかりのアルバムなのだ。




アルバムは、英語だが、なぜか4枚のシングルは日本語(笑)なんだそりゃ。このへんが、桑田さんらしい。

まずは名曲、「BAN BAN BAN」前奏の入りが、ムチャクチャかっこいい上に、メロディアスなサビ、これはキクぜ!




次のシングルは「スキップビート」。どう歌っても、サビが「スケベ、スケベ、スケベ、スケベ」になったりする。内容もエロエロ。

だって、スケベと叫ぶ前の歌詞、「割れたパーツのマニア〜♪」だもんなぁ。メロディラインは、さいこうっす。




個人的には、メロディアスな、この曲、好きっす。「思い出が 波に揺れる 今宵は silent night」から来る、サビのきれいな切り替えは、桑田さんらしい。さすが!




4枚目のシングルは、「one day」サザンのバラードは、バックの演奏が控えめに入ることが多いんやけど、この曲は、バンドらしいバラード。ブリティッシュロックっぽくて、カッコイイ。




シングル&アルバム曲で構成された、ライブアルバムも一枚出とるので、興味が、あればぜひ!

後悔はしない内容だよ。

ちなみに、KUWATA BANDのプレミアライブ、リーゼンは幸運にも行くことができ、桑田さんのヤケクソパワーを注入していただけたのでした。

ほんと、あんなカッコイイ大人になりたかったなぁ😆




2016年9月27日火曜日

リーゼンの好きなところ その1 鬼無里村



リーガルは、大学が長野県だったもんで、長野県が大好き。のんびりした人情のある土地柄も、好きな理由なのだが、古事記に通じる神話が多いのも、好きな理由。リーガルの探究心がむくむくと湧き上がってくるのだ。
今回は、リーガルが大好きな、戸隠のふもと、鬼無里村について、語ろうか。




鬼無里村は、長野市の上部。戸隠のふもとにある、過疎化が進んだ小さな村だ。取り立てて名所があるわけではなく、あえていうなら、北アルプスの眺めがすばらしいぐらい。




名所はないが、伝説が残ってる、とのふれこみで、村に入ると、伝説の里の、触れ込みがあちらこちらに。「伝説?」とは、なんぞや?




「鬼女紅葉伝説」歌舞伎や謡曲、能なんかも出てくる演目。この舞台が鬼無里村なのだ。

鬼女紅葉とは…

 その昔、会津の伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈って娘呉葉を授かりました。娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き呉葉は紅葉と名を改めて琴の指南を始めました。
 ある日、紅葉の琴の音に足を止めた源経基公の御台所は紅葉を屋敷に召して侍女といたしました。
紅葉の美しさは経基公の目にも止まり、公は紅葉を召して夜を共にしました。
 経基公の子を宿した紅葉は公の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、邪法を使い御台所を呪い殺そうと計りましたが企てが露見してしまい、紅葉は捕らえられ信濃の戸隠へ流されてしまいました。
 信濃に至り、川を遡ると水無瀬という山里に出ました。「我は都の者。御台所の嫉妬で追放の憂き目にあいなった。」と語る麗人に純朴な里人は哀れみ、内裏屋敷を建てて住まわせました。
紅葉は喜び、里人が病に苦しむと占いや加持祈祷で直してあげたのでした。
 紅葉は付近の里に東京、西京、二条、三条、などの名をつけて都を偲んでいましたが、月満ちて玉のような男の子を産むと、その子を一目経基公に見せたいと思うようになり、兵を集め力づくでも都へ上ろうと考えました。
 里人には「経基公より迎えが来たので都へ戻ります」と言い置き、戸隠荒倉山の岩屋に移ると、戸隠山中の山賊を配下とし、村々を襲い軍資金を集めました。
 そのうわさが冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂に紅葉征伐を命じました。
 平維茂は山賊共を打ち破り、紅葉の岩屋へ攻め寄せますが、紅葉は妖術を使い維茂軍を道に迷わせます。
 妖術を破るには神仏の力にすがるほかないと別所温泉北向き観音に籠もり、満願の日に一振りの宝剣を授かりました。
 意気上がる維茂軍を紅葉は又もや妖術で退けようとしましたが宝剣の前に術が効きません。やむなく雲に乗って逃げようとする紅葉に、維茂は宝剣を弓につがえて放つと、紅葉の胸に刺さり、地面に落ちて息絶えました。
享年33歳と伝わります。
人々はこれより水無瀬の里を鬼のいない里・鬼無里と言うようになりました。
(鬼無里観光振興会より)




冬に村に訪ねるとわかるが、雪深い里なので、寂寥感は半端ない。こんなとこに都落ちし、それでも愛する男への募る想いを貫き通し…都に上るためとはいえ、盗賊の親分になったり、都からの追手を妖術なんかで謀ろうとしたり…と、やっちまった感はあるけど、リーゼンは自分の気持ちに素直な人物が好きなのだ、心底ね。好きな人には騙しや疑い、駆け引きせずに、愛を貫き通す、紅葉や東京ラブストーリーの赤名リカみたいなのが、よいね。憧れるよ。




ちなみに、『紅葉狩り』という言葉。赤く染まった秋の紅葉の葉っぱを狩る…刈る?わけではなく、見て愛でるだけなのに、なぜ『紅葉…狩り』かと言えば、一説には、鬼女紅葉を都の衛兵により、狩ったから、とも言われてる。多分は和歌の季語に『紅葉狩り』とか『桜狩り』とかあるから、それだけとは思うが、平安時代から、この鬼女紅葉、敬意と憧れと恐れを持って知られた、存在なのである。




ちなみに、三年ほど前?鬼無里村で能『鬼女紅葉』が催された時には、リーゼンも見に行ったよ。愛知県でもたまに能や歌舞伎でやるんだけど、やはり鬼無里村で鑑賞したのが一番胸に響いたね。能の舞台が、神社の境内だったしね。村じゅう響く、お囃子や太鼓、笛がいいんだよ、やはり。戸隠山に吸い込まれてく感じがね、古代のロマンを感じるんだな。



機会があったら、ぜひ鑑賞してみてほしい。古代から綿々と現代に生きる自分への系譜や、そこに生きてた人々の暮らしぶりや思いなんかを感じられるんじゃないかな。

では、またね。