2016年9月29日木曜日

思い出の車たち その1 スバル ジャスティー



さて、今日は、リーゼンの思い出の車について、語ろうか。第1回は、スバル製ジャスティである。

リーゼンが大学に入り、バイトして自動車学校に通い…あとで知ったが、安いがムチャクチャ厳しい松電自動車学校に通ってしまい…教官にはけちょんけちょんに言われつつも、1オーバーで、免許をとり…最初に買ったのが、このジャスティー。中古で総額60万だたな。

CMのキャッチフレーズは「火の玉ボーイ」だったな。確か。ツートンの赤色は、なかなかイカしてると思えた。




内装は、こんな感じ。バブル時に作られたから、多分、今の車よりシートはよかったよ、値段のわりに。航空機メーカースバルのコックピット風のインパネは操作性抜群。運転はしやすかったな。

だいたい、運転するのに、インパネはこういうシンプルなのがいいよ。トヨタがしばらくやってた、センターメーターなんて、なんであんなことやるのか、わからんかったもんな。どこに視線やったらいいかわからへん。航空機作るか、F1やるメーカーじゃないと、だめだな、やっぱ。

センターメーターのヴィッツのレーシング車は、わざわざハンドルの向こうに、タコメーターを移してあるもんな。ヴィッツの事故率の高さは、このあたりに原因があると思う。




さてジャスティーの話に戻すと、この車、なんとパートタイム4WDなのだ。あっそう、じゃないのだ。この大きさの車でパートタイム4WDって、ありえん。それも、シフトレバーの真ん中のボタン一つで、FFから4WDに変えれた。これはすごいシステムだったと思う。だってこのころのパートタイム4WDって、トヨタはランクルぐらいしかなく、三菱のパジェロ、日産のテラノぐらいでかい車じゃないと、できないシステムなんだよな。基本的に。それも他のパートタイム4WDが、一度止まって、二駆から4WDに切り替えなきゃいけなかったのに、ジャスティーは走行しながらできた。雪国には、ありがたや〜スバル様の車だったのだ。




ただし…ほめるのは、ここまで。この車、決定的な欠陥があった。

まず、マニュアル車だけだが、マニュアルギアが、シンクロを組んでおり、元気に走れるようにしてあった…のだが、エンジンの回転数をきちんと合わせないと、シフトアップできんし、レーシングカーを運転する時に使うテクニック、「ヒール&トゥー」を使わないと減速時にガックンガックンなってしまう車なのだ。おかげで、そのあと、ダートラの車レースに出る時に役立ったけど(笑)

そして最大の難点は、きっちり5人乗れる、でかいボディのわりに1000ccの小さいエンジンを載せてること。長野県じゃなきゃいいだろうけど、何しろ山国。友達乗せて、登り坂に入ると、2速に入れても止まる始末。結局、1速で坂道上がるから、うるさい、うるさい。車内でエンジン音に負けないような声でしゃべるから、ありえないうるささだった。
さらに、高速でも馬力のなさを露呈し、例えば、中央自動車道の内津峠あたりでは60キロぐらいしか出ない!大型車なみの遅さだった。



でも、まぁ、そこらへんにぶつけてもめったに凹まない、丈夫なボディとあいまって、最初に乗る車としてはよかったな。技量も上がったしね。

この車には二年乗り、次は一番思い出深い、おとぼけ新聞読者にはおなじみの「プレ子ちゃん」にのりかえるのであった。

次は、その2へ。では、またね。



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