2016年12月1日木曜日

世の中にあふれるウソ その17 古代日本 秦氏について⑥

先回、「徐福の悪だくみ物語」の序章?を語ってみた。 

『呂不韋』(りょ ふい) = 『ルフィ』の くだりなんぞ、非常に鮮やかだった気がするが…

気のせいか!

さて、ルフィはほっといて。

「徐福の悪だくみ物語」の続きをいこうか。

まず、呂不韋、あらため「徐福」、まずは、1回目の旅に出発。ところが…「失敗!」…とされている。

理由として載っているのは、国史「史記」によると、

「サメやクジラに邪魔されたから」

は?こんな理由、もし『徐福』=『呂不韋』じゃなければ、

「八つ裂きでしょ!」

この年表をみてくれたまい!

<始皇帝の足跡を 徐福と からめて>
BC.221 
    斉の国を滅亡し,秦の始皇帝が即位した。

BC.219 
    秦の始皇帝が国々をまわっていたとき,徐福が上書(君主に書状を差し出す)した。
 その内容は,東海中に三神山があり,仙人が住んでいて。童男童女とともに仙人を探したいというもの。始皇帝は徐福に航海を命じ、徐福が日本に渡来した。しかし仙薬は見つけられない。 
BC.214
 始皇帝が万里の長城を修復させた。
BC.213 
    焚書(ふんしょ)思想の弾圧をした。 
BC.212
 坑儒(こうじゅ)学者の生き埋めをさせた。
 始皇帝が大鮫魚がいたのでたどり着けなかったと言う徐福の報告を聞く。 
BC.210 
    徐福らは童男童女3000人と技術者,五穀や数々の道具を船に乗せて大船団で出航した。
 同時に始皇帝は研究者たちに、人工的に不老不死の薬の研究をさせ、「丹薬」なる「不老不死」の薬を作らせる。「丹薬」とは主に水銀などの重金属を原料にした薬。つまり毒物だったので…これを飲んだ始皇帝は毒が身体に廻って崩御。

BC.208 
    徐福が死去。

<以上>

におうでしょ、普通に。

徐福が帰国し、始皇帝が納得するはずもない?言い訳をしたの、あの『悪名高い』焚書坑儒の真っ最中。そんなん、普通に考えても、

『八つ裂きでしょ?』

日中の学者たちが、頭を悩ませる、古代史最大のミステリーなので、読者のみんなも、理由を考えてくれたまい。

次回、リーゼン説を語る…語れるかな…結論が にぶったら、すまんね。

では、またね。

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