2016年11月4日金曜日

世の中にあふれるウソ その10 聖徳太子はいない(4)



前回、邪馬台国は九州にあったことをお伝えしたが、なぜ邪馬台国が聖徳太子にかかわるのかを、必要なとこだけ説明しながら、今回の聖徳太子、いやおそらくは秦河勝が、出現し、暗躍する時代背景を、語ってみようか。


邪馬台国の畿内説については、畿内にあったとする根拠よなる遺跡や遺物についての強引な説明、九州説を裏付ける遺跡や遺物もそろっている上、別分野では万葉集の研究者からも、邪馬台国畿内説の矛盾点が上がっていて、神社研究家からも神話と祀られている各神社の神様との関連(畿内説にすると、まったく説明がつかないから、畿内説を支持する論者は神話を資料として値しないしろもの、と断定している。じゃぁ、古来の日本に住んでいた人はなんでそんなもんを語り継いでいたのか。それこそ歴史のねつ造だ)いろいろ鑑みて、リーゼン的にはすっきりと九州説で納得している。

ただ今だに畿内説も根強く、2000年代に入り、奈良県の纏向遺跡と箸墓古墳を邪馬台国と卑弥呼の墓に比定しようとする一派がおり、箸墓古墳を卑弥呼の墓ではないかとのことで畿内説を裏付けようとしているが、はっきり言って捏造に近い。大体、年代考証が急に卑弥呼の時代よりにさかのぼったのもあやしいし、古墳の種類も年代をすっとばしたものだ。

おそらくは京都大学や同志社大学を中心とした研究チームが、畿内説を曲げないことが原因。プライドの問題と研究費が入らなくなるからね。おそらくは、捏造めいた遺物がこれからも見つかるだろう。

あと、邪馬台国の時代から国が畿内でまとまっていた、とすることは、皇室が古来より一つ、とする、明治時代から特に言われるようになった皇室一元論には都合がよいのだ。だからこれだけ九州説で説明がつくはずなのに学会では畿内説が根強い。


京都大学や同志社大学の教授たちにとっては大切な食い扶持なので、張り合いたいのはわかる。遺物については屁理屈やら捏造めいた説明で説明できるが、宗教と文化はごまかせないし、その点を九州説論者から説明を求められると、大した反論ができない。

また、畿内説論者の頼りとする遺物、例えば三角縁神獣鏡。卑弥呼が魏から100枚贈られた魏鏡。畿内から多くが見つかった、ということで邪馬台国は畿内にあったと説明してきたのだが、そのあと三角縁神獣鏡、500枚ほども見つかるわ、なのに中国では見つからないわ、華南の鏡のデザインだわ、文字も楷書体で書かれており、中国の公式な文字体「篆書体」(→金印は篆書体だよ、ちゃんともらったやつだから)ではないわ、素材に魏のあたりの銅ではないもの混じってるわで。中国の古代博物館の博物員からも、中国産ではないとはっきり言われとるのだ。京都大学、同志社大学は認めないけど(笑)

 リーゼンがこうではないか、と思っている古代史について、まとめるとね、邪馬台国は九州にあったと思ってるけども、畿内にも邪馬台国とは別の「クニ」があったと確信してる。名前は「日高見国」。たぶん古代研究家からは出ない言葉だと思う。これ、神社本庁包括下の神社で、毎日神前にて唱えられている『大祓詞』という言葉の中に、「大倭日高見国」という言葉が出ており、ふつうに大和にあった国だと、述べられているのだあと、九州にあった『邪馬台国』の読み方。これを書いたのが中国人なんだから、中国読みをしなきゃいけない。「やまたいこく」は日本人読み。中国人読みをすると、「やまど・こく」。当時の日本から来た使者にどこから来たのかをたずね、おそらくは「やまど」と答えたに違いない。「やまど」とは何か?「山止」…つまり山に祀られた神様を信仰する信徒全般を、「やまど」と呼んでいたのだと思う。いや、そう信じこまされていた。だれに?古代に古来してきた、ユダヤ人系渡来人。おそらくはその優れた文明の力で指導者になっていただろう。そう、秦氏だよ、ここで出てくるのが!!



氏の系譜を簡単に言うと、ユダヤ系の人。古代イスラエルがバビロニアに征服されたときに移り住み、現在のキルギスという国のあたりにあった「弓月国」という国を経て、新羅を通り、九州に上陸したと思われる。3世紀ぐらいと思われるのだが。

さて、ユダヤ人の言葉は、「ヘブライ語」。日本の古来の言葉、ほとんどがヘブライ語由来と言われている。もちろん、中国系百済の国から漢字を含め、多少は漢語も入っているけど、ヤマト言葉と言われる日本古来の言葉や、おそらくはカタカナもヘブライ語から来ていると思われる。さて、「やまど」という言葉、まぁ「やまと」でもいいのだが…ヘブライ語では、「ヤ=絶対神ヤーウェ」+「ウマト=民族」からなる複合語で表せるのだ。「やまと」=「ヤ・ウマト」=「神の民族」これだけではない。弓月国のあったキルギスにも「ヤウマト」という地名があるのだ。

秦氏については、それだけではない。なんと、中国の「隋書」という国書に、筑紫の国の東に「秦王国」があり、とちゃんと書いてあるのだ。おそらくは秦王国→邪馬台国?が正論なのでは、と思うのだが、なぜか異論扱い。学会にも話が出ては消えるとこを見ると、それだけ秦氏、暗躍がお約束なんだよね。表舞台には決して出てこない。

今回のまとめ…聖徳太子や蘇我氏は、畿内を中心に日本全土(東北以北をのぞく)を統一していた大和朝廷の中で、自然発生的に出世してきて、問題が起きたから殺されたり、したわけではない。むしろ、大和朝廷以外の「クニ」から移ってきた、または侵略してきたと考えるほうが適切。でなければ、蘇我氏が急に3代のみ、のし上がってきた現象は非常に不自然。


文字ばっかで疲れたね。
つづきはまた。では、またね。
















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