2016年11月26日土曜日

世の中にあふれるウソ その15 古代日本 秦氏について④


 
さて、先回、『史記』からの始皇帝の時代の『秦』による、中国の統一について語ってみた。

今回は、少し離れて、渡来人ルートと、渡来人の移動について、語ってみようか。日本人は、どこから来たのか、広大なテーマだな。NHKなら、膨大な予算と人手が使えるのに、わが『おとぼけ新聞社』は、28年間、社員一人。予算は枯れかけた脳みそと、栄養となる安酒のみ。泣けるね😥

ちなみに、今日の栄養源は…
 ほろよい 白いサワー。酒のスギタで安売りしとった。これのいいとこは、『全く酔わない』『乳酸菌入って健康的…というわりには、身体に悪い成分がぶちこんである』という2点。

飲みすぎんように せんと!

さて、渡来人ルートだ。最初に出した図をご覧あれ。この図、教科書や資料集など、よく見る図なのだが。概ね合っとるけど、足りないとこが2点。

まず一点。弥生人について。弥生人の渡来、大きく分けて、二回あった。ルートについても、同じとは限らない、ということ。もちろん、渡来した人がいた時期は 他にもチラチラとはあるが、大きく、たくさんの人数が一気に移動した 時期は、おそらく二回ということ。

言ってしまったが、渡来人は、大陸からの一方通行ではないし、チラチラとあったはず。出雲地方を研究してる人に言わせるとね、出雲地方で漁師やってる民たち、沖に出ると海流で時折、大陸側、特に朝鮮半島、ロシアまで流されたという伝承されてきた話があるのだ。無事に帰る人、そのまま居つく人、殺されて戻らない人など様々だが、大陸からの一方通行、という説明は、説明不足と言わざるをえない。

さて、渡来ルート、これは歴史学者それぞれで違い、言語学、風俗学、はたまたDNAまで駆使して、さまざまなルートを提唱し、これがまた混乱のもとなのだが。

簡単に考えれば、いいんじゃないか?

全体として…日本海、大きめの池のようなイメージを持つが、れっきとした海。地球の自転を思いっきり受け、また熱対流の影響を思いっきり受けた、世界屈指の速さの海流を持つ、海なんだよ。だから渡来人のルートとして、リーゼンが最優先に考えたのは…

①日本の上陸できる地に近い→各所から船で渡航を試みて、一番確実に上陸できた…人数がさ、やはり近さが重要だと思うのさ。簡易な船で渡航している以上、高度なルートでの渡航は難しいわけで。「島を経由して」という説で、複雑なルートを提唱する人がいるが、言語的、風習的にも、それほど多くのルートがあったとは思えない。

また、日本海が広すぎてどこに上陸したかはわからない、というなら、認識違いだと思う。日本海側にある、港の数を見れば明らか。実は日本海側、けっこう険しいところが多く、上陸できる場所は限られる。港として整備する前は、海では係留できず、大河の奥まった河口堰に係留しないといけないぐらい、日本海の波は大きく、流れも速い。太平洋側は遠浅だから、港っぽいところは意外とたくさんあるけども。

つまり、日本海側で上陸しやすい場所…九州の西部や北部、島根の境、敦賀、富山あたりが、渡来地として考えれば、結局、朝鮮ルートが第一ルートなのである。

②次に考えなきゃいけないのは海流。予想外に速いのだ、日本海の海流。だから海流の流れをさぐれば、中国東岸部の真ん中あたりは考えにくい。だって、海流の流れから外れてるからね。

だから、リーゼンの考えでは、中国から渡来したい場合、中国の思いっきり南部か、台湾経由で、本土ではなく、九州西南部か、種子島や対馬のような海流の真ん中にある島々あたりが渡来地とみてみればいいのでは、と思っている。

もちろん、それ以外のルートからも偶然たどり着いた、渡来人はいただろう。でもそれは、必要に迫られて、おそらくは少数での渡来に限られただろう。

集団での渡来には、集団全体の思想的な統一がないと、うまくいかないはず。上陸には現地人との戦いも、伴うからね。つまり…

『なぜ、危険だとわかっていて、渡来しようと思ったの?』

つまり、渡来しようとする必然性が必要なんだよ、やはり。

そうかんがえると、次回以降に話す、弥生時代の渡来人激増には、確たる理由があるからさ、まぁ、大体が追いやられて渡来しているからね、その人たちが、住んでた土地っちゅうか、国というかをさぐれば、出発地は大体わかるわけだよ。たぶんは。

渡来ルートについての、『お語り』これにて終了。
次回は弥生時代、1回目の大渡来について語るよ。

では、またね。

0 コメント:

コメントを投稿