今日は節分。『鬼は外。福は内〜』などと豆まきしとりますな、各地で。
節分?なんじゃろなぁ💭
鬼がなぜ 登場するのか?炒り豆を投げるけど、ナマ豆や、甘納豆じゃダメか?ひいらぎを供えたりさ…みょうなとこに、ツッコミ入れたくなるのは、リーゼンだけ?昔からの風習には、陰謀があるのは、古代史を調べとると『当たり前のこと』なので、節分もなんかあるやろ、と思ったら、わさわさ出てきた。
まず、日にち。これは今回、新しく判明。
節分の日付は現在は毎年2月3日だけど、これは1985年から2024年ごろまでに限ったこと。常にそうではない。
1984年までは、4年に1度の閏年に2月4日だった。2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。
節分は立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日。つまり、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできないものらしい。
次に、鬼に炒り豆をぶつける件。これは、封じられた神様研究をしていると、微妙にわかる。
炒り豆を使うのは、もちろん、鬼に生を与えないため、などと言われるがね。
「鬼」は陰陽五行説(火・水・木・金・土)において、金の属性を持っており。
この金を滅する力を持っているのは
火であるため、火を通した、炒り豆は
鬼を封じる力を持っている、と言われるので。
あとは、豆まきだが、元々は中国で行われていた
「追儺(ついな)」
と言う、疫病などを、もたらすと、信じられていた鬼を追い払うための、行事だった。
具体的には、「方相氏(ほうそうし)」という
鬼を追い払う役の人がいて
恐ろしいお面を着けて、矛と盾で、悪霊を追い払う儀式。
それが平安時代に日本に伝わり、陰陽師により、行われてきたものが、具体的な忌み物=鬼を追い払う風習となり、庶民化したもの。
ただね…
追い払おうとしたのは、何?
ということなのだ。
よく聞かれる『鬼門』。北東の本鬼門と、南西の裏鬼門。そもそも中国の風水でも、鬼とは何かといえば、北東と南西に、侵略を試みる外敵がいたこと、それと、中国では南西から強い風が吹くので、黄砂に悩まされたこと、火事に備えて水場の方角に配慮したことによるものにすぎんのだよ、鬼門なんぞ。
日本の鬼や鬼門も、別に空想で鬼を作り出したわけじゃない。いわゆる、正神=日本古来の神を畿内から丹後半島にあった秦氏の勢力地から追い払い、北東と南西に封じこめるために、鬼門という考え方を取り入れただけ。
つまり、節分の豆まきとは、正神を秦氏の勢力地から追い払う儀式からきてるのだ。
だから、豆まきで『鬼を招き入れる』地域がある。秦氏に追い出された民の子孫が住む、東北なんかで多いのは、そのためだ。
最後に、節分の儀式、ユダヤ人と日本人、中国人ぐらいだよ、祝うの。
節分、思えば、曰く付きの風習じゃん。
最後に、節分の鬼の扮装アイテム、『つの』『シマシマ模様のパンツ』。本鬼門が、『丑寅(北東)』だから。『丑(牛)の角』と『トラの皮』。間違っても、ヒョウ柄じゃないからね。
リーゼンは…鬼と言えば、このような鬼…
を想像するからして、
『鬼は〜内!だな、やはり』
では、またね。
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