2017年12月1日金曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その13

先回まで、人間魚雷と言う特攻兵器に触れ、戦時中の日本の窮乏について触れてきたけど。

リーゼンがその中で感じたことを、少しずつ話してみたいと思う。

まず太平洋戦争について。

リーゼンの感としては、「起こすべきではなかった」。これにつきる。

『侵略戦争』かといえば、これは難しい議論になるな。









日本が仕方なく戦争に突入せざるをえなかったことは、東京裁判で連合国が送り込んだ、インドの判事『ラダ・ビノード・パール』が提起した『パール判決書』を読んでも明らかなのだが、あの時、連合国側の主要国家(アメリカ)は明らかに戦争をしたがっていた。アメリカと言う国は、一度も「宣戦布告をしない国」として存在しているのだが、軍需産業で支えられている国という側面を持つ限り、戦争がないと存在しない国なのだ。

『パール判決書』は一読あれ。太平洋戦争での日本を国際社会の一員としての国家として、どうとらえていくべきかを明快に記している。

したがって、太平洋戦争を引き起こすにいたった『ABCD包囲網』などは、相手方に宣戦布告をさせ、戦争をはじめさせるきっかけに違いないし、このアメリカのやり方は、アメリカ国史を通して数知れず行われている。(イラク戦争もそうだし)

そう考えれば、日本は太平洋戦争を『仕方なく』やらざるをえなかった…かといえば、それだけとはいえない。

もう一つの側面は『陸軍と海軍との仲が悪かった』と言う側面。手柄争いで日清、日露戦争より、ずっと手柄争いをしていたのだ。

太平洋戦争、実は海軍は「開戦回避」だったはず。なぜならアメリカの物量のすごさをもっとも知っていたのは、海軍だったから。そもそも海軍の主柱、軍艦や戦闘機を作る機械がアメリカ製だったわけだから。また、軍艦、戦闘機を動かす石油、アメリカを通さないとオクタン価の高い石油が手に入らなかったわけでね。そんな国と戦っても「勝てるわけがない」のはわかっていた。

しかし陸軍が…日中戦争が行き詰まり、アメリカとかから、はよ撤退しなされ、などと横槍を入れられ、さらに資源の輸入も制限されちゃったからね、『開戦やむなし』なわけですわ。

ただし勝つには、短期決戦のみ。適当なところで停戦の話し合いにつきたかったはず。

ヨーロッパ戦線もナチスドイツにより膠着状態でアジアなどには手が回らない、という陸軍の読みもあり、開戦したのだが。ある意味当たっており、ある意味はずれたわけだね、これが。

手が回らなかった、というのはあたっていた。それはナチスドイツが敗れる寸前まで苦戦を強いられたので、間違っていなかった。

はずれたのは、アメリカ国内における世論が、とある事件で動いたために、日本には『不運な』方向に進んだわけだね。

とある事件とは。次回へ続く。

では、またね。


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