2016年10月6日木曜日

世の中にあふれるウソ その6



聖徳太子に、なかなか行き着けず、その5ではえらそうな歴史観まで吐いてしまうとは、エアロバイクこぎつつの、アドレナリン出まくりの、ランナーズハイ中毒リーゼンは、いけませんなぁ、ほんとに。

さ、こっからは、ほろ酔いイケイケ編集長ですぞ。ま、みなさまも、酒でも🍶飲みつつ、ゆるく読んでくださいませ。

さて、今回一発目のこの絵。見たことない?あるでしょ?そう、鎌倉時代の一大事件、『元寇』が描かれた絵巻ですがな。



この絵巻、『蒙古襲来絵詞』(もうこしゅうらいえことば)と申します。




本来は、こんな、長い絵巻物。そりゃそうだ。この絵巻物、そもそもは、鎌倉時代の肥後国御家人竹崎季長(たけざき・すえなが)が作成したもので、文永・弘安の役(元寇)の様子が絵と詞書に克明に記録してあるもので、これを元に、幕府に恩賞を求めたものやからね、北条さまに興味を持ってもらい、恩賞アップを画策したものやから、それはそれは、きらびやかな絵巻物に仕上げてあるわけだ。「蒙古襲来絵詞」の原本は、現在、宮内庁が持っておるが、18世紀末に、この絵巻物が発見されると、大名や文人たちの関心をよび、多くの模本が作成されとのこと。現在、リーゼンはたまたま、九州国立博物館で九州大学附属図書館が所蔵している「蒙古襲来絵詞」の模本を見たことがある。




で、絵巻物のここが例のとこですがな。

問題はね(こっからは、丁寧に説明してあるサイトから、拝借。)



原始的な鎌倉武士と、近代的な団体戦を挑んできた元の戦士との闘いは、鎌倉武士の苦戦が続いた。特に元の近代兵器「てっぽう」は、近代兵器の原点と言われ…などと紹介されとるが、日本から飛んどるやん!
ちなみに絵巻を右にスクロールしても、右側には元の兵士はおりませぬ。




ちなみに、絵に描かれてるのが、恩賞預りをたくらんだ、竹崎季長なのですがね…

決死の思いで、戦ってる竹崎!矢をつがえた三人の元の兵士にねらわれ、ピンチ!と思いきや…




え〜まじっすか?どうも、この三人、江戸時代あたりに描き加えられたらしい。

元々は描いてないんだよ。そうとらえて、元の絵を見ると…





鎌倉武士、てっぽうから逃げてるの、実は元の兵士なわけだよ。

だれだよ、こんな歴史観を植え付けようとしたの。

ほんとのところ、二回の元寇は押され押されで、ダメか〜で台風(神風)に助けられた、というのは真っ赤なうそで…

1回目…九州の陸には上がったが苦戦続きの元軍。長期戦になり、食料が、やばくなったので、一度帰国しようと、船出し、数日後に台風で座礁。海のもくずになった。

2回目…九州には土塁が築かれ、全く上陸できず。他に上陸できる場所を探し、船で移動中、台風で座礁。海のもくずになった。

というのが、最近の学説らしい。なんだよ、モンゴル!と思いきや、陸の戦では無敵だが、海の戦だから苦戦、というわけではなく、元寇で襲いにきたのは、モンゴル兵ではなく、朝鮮人、高句麗のやつらじゃないか!絵巻に描かれとるのも、朝鮮民族やし、何より朝鮮の書物に書かれとるし、最初に上陸した隠岐の島でモンゴル軍が暴虐の限りをつくした内容が、高句麗のやつらの風習そのものらしい。(例…略奪したじょせいたちの手のひらに穴をあけて、数珠繋ぎにして持ち帰る)

モンゴル人には、こんな風習はなかったらしい。

ベトナム戦争の時もそうだけど、朝鮮民族、だめだね。世界の嫌われ者だけある。いつか、新聞でも書こうと思うけど、歴史的に無理なんだよ、日本とまともに付き合うのは。

ともあれ、このわざとらしい取り違えは、戦後の自虐歴史観を植え付けようと画策した、中共に毒された社会科教師たちやね。

今後の教科書は正しい歴史認識で書いてほしいわ。



さて、第二弾。左は、魚津歴史民俗博物館に所蔵されとる、前田利長の肖像画。高名な、前田利家の息子。加賀藩の地盤を固めた、加賀藩の祖と言われたりもする、大人物ですな。

さて、次の絵をご覧あれ。




は?模造品?

この絵は、赤間神宮に所蔵されてる、平資盛の肖像画なのだ。違い、わかる?リーゼンには、どう見ても同じに見える…それも平資盛、壇ノ浦で滅んで海の底に自沈した、悲劇のヒーロー、大人物やん。

まだ違う絵と言い張る、素敵な方々、うざいデカさに拡大しまっせ!





前田利家と…




平資盛…



同じやろ!っちゅーか、模倣品やないか。もちろん古いのは、下の平資盛の方で、模倣したのは、前田利長を描いた絵描きさんやねん。

気づかんもんやね…美術館なんてない時代、こそーっとやるとわからんかったやろうね。



ということで、その6、お開き。

では、またね。



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