2017年3月31日金曜日
2017年3月30日木曜日
おとぼけ新聞 号外 青い銀河 デザート編
2017年3月29日水曜日
おとぼけ新聞 号外 青い銀河 料理編
2017年3月28日火曜日
おとぼけ新聞 号外 青い銀河
2017年3月27日月曜日
リーゼンの休日 生来の浮気者 パート6
2017年3月26日日曜日
リーゼンの休日 スキー大会役員 その3
2017年3月25日土曜日
リーゼンの休日 スキー大会役員 その2
2017年3月24日金曜日
リーゼンの休日 スキー大会役員 その1
2017年3月23日木曜日
リーゼンの休日 生来の浮気者 パート5
2017年3月22日水曜日
リーゼンの休日 生来の浮気者パート4
だが、当時の国民の生活実態と律令との間には、どうもギャップが。婚姻制度について、当時は一夫多妻であったのだが。
苦肉の策で、基本は 一夫一婦制とし、逃げ道として、『最初に娶ったのが妻、次からは妾と呼び、戸籍にもこのように記載して同籍させる』という手段がとられた。ちなみに、律令前は、最初の妻が『こなみ』、その他の妻は『うはなり』と称しつつも、どちらも妻であることには変わりなく、扱われていた。
律令以降も、『残念ながら』一夫一婦制は、江戸時代においても守られてしまった。江戸時代では、正妻以外は『妾奉公人』とされ、妻ではなく奉公人の地位だったが、妾がその家の跡取りを産むと正妻が嫡母・子を庶子と呼び、妾の方も優遇されていた。
つまり、一夫一妻制の上では、大問題の『浮気』。別に、実態としては問題ない仕組みなんだと、思うのだ。→あくまでリーゼンの私感
ちなみに『律令』の下での離婚。
七出、三不去といわれる理由が上げられた。
七出とは「無子、姦通、舅姑に事えず、口舌、窃盗、嫉妬、悪疾」
三不去とは「舅姑に仕え喪を持くることを経たるとき、娶るとき賤しくして後貴きに至る、帰する所無きとき」
離婚のことを『棄妻』といい、手続きは棄妻の旨を手書して届書を作り、両家の尊属近親の連署を得て届出する。→今と変わらん
興味深いのは、夫が字を書けないときは画指(人差し指の長さと関節の箇所を描くこと。指紋の代わりだね)で届出した。
『すばらしいね、昔の日本!』
だって、嫉妬されたら、離縁できたとは。なんとも男性バンザイ🙌
女性専用車両の存在に腹を立てているリーゼン、全く、現代の男性陣のなさけないこと。
名古屋市営地下鉄に、
『男性専用専用も作れ!』
と投書した、リーゼンを見習いなはれ。
さておき、明治になり、文明国家として船出した日本。イギリスあたりのキリスト教国家どもから一夫多妻制を批判され、苦肉の策で、妾の地位を奉公人から妻と同じ地位に格上げ。明治初年の親等図をみると、妻と妾が同じ親等の二親等と記されておる。まさしく『混乱状態』は、明治14年末まで続くことになる。
次回に続く。
では、またね。