2017年3月23日木曜日

リーゼンの休日 生来の浮気者 パート5

前回、明治時代の婚姻制度の『うれしい』混乱について語ってみた。せっかく、本妻も妾も同じ位で戸籍に載せられる、という素晴らしい戸籍制度を確立したのに…キリスト教国家からの蔑みやら、圧力やらは強力だったらしく、刑法では明治13年に、戸籍法では明治19年に妾は姿を消すことに。そして、明治31年に民法によって一夫一婦制が確立する。

でもね…

明治天皇も、大正天皇も、正妻の子じゃないからさ。

明治時代当初の、とにかく、国際的な国家を作り上げるという目的の下では、より確実に、家を維持するための子作りが想定しやすい『一夫多妻制』は、非常に良策であった。

大体が、妾の対象は、芸妓や娼婦も含まれてる。つまり妾にしてもらうっちゅうことは、金のために身を落とした、その身上から脱出する機会でもあったのにね。

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