2017年7月31日月曜日

世の中にあふれるウソ 30 明治維新⑤

さてさて、1800年代、アメリカはモルヒネ中毒、イギリスは紅茶中毒だった、これを前提で話をするとね。

午後3時のティータイムに代表されるように、イギリス人は茶が大好きなのだ。上流階級の文化として。 また、薬として飲む習慣として根付いているので、この習慣は根深い。

紅茶はその頃、清(中国)でしか作れなかった。そして、紅茶を飲む時に使う、陶磁器も大好きで、これも中国にしかなかった。


つまりは、イギリス人は、美しい中国の陶磁器で、おいしい中国のお茶を飲みたかった。だから商船がロンドンやイギリスの植民地だったシンガポール、インドから中国の広東にどんどん入ってきた。

ちなみにこの頃の清(中国)、日本と同様、鎖国をしていて、広東に「出島」があった。



統制された状態での貿易、「広東システム」と呼ばれてたのだけど、ここで、イギリス関連の貿易をつかさどったのが、インドにいた あの悪名高き「イギリス東インド会社」。ちなみに、「イギリス東インド会社」より古いものに、「オランダ東インド会社」がある。そう、つまりは、江戸時代、鎖国をしていた日本の出島に来ていたオランダの商人、ユダヤ系だったのだよ。ここのとこは 後の話にも出てくるので、お見知りおきを。

さて、「イギリス東インド会社」がどんどんイギリスにお茶を運び、中国から莫大な量の紅茶がイギリスに流れていく。反対に、莫大なお金がイギリスから清へ流れていく。中国人がほしがるイギリス製品は、ほとんどなかった。だから、イギリスは清の通貨である「銀」で代金を払っていた。イギリスでは「金」が通貨だったから、これまた「銀」も、スペインの植民地だったメキシコから買わなくてはいけなかった。

イギリスが自国や自国の植民地で生産される「綿」や「羊毛」の製品を清に売ろうとしても、お金持ちの清では、絹の製品を着ていたわけでさ、「いらない」

さらにその「絹」の製品まで欲しくなっちゃったから、イギリスの国庫は危なくなった。膨大な海軍を抱えているのに軍費が捻出できない。

なのに…

紅茶の輸入をやめないもんだからさ。

買うばっかのイギリス、どうにかならんかと考えたわけさ。ようするに、清国にイギリスの製品を買ってもらえばいいのさ。いや、清国がほしがる産業製品を作ればいいわけさ。

「あっ、清国の宮廷、北京の紫禁城に住んでいる皇帝の側室方の媚薬、アヘンはどうやろ?」
 
ここにきて、イギリス、自分の植民地である、インドで栽培されているアヘンに目をつけたわけだ。まずはインドに広大なアヘン農場を作った。いや、作ったというレベルではなく、インドの川沿いの土地という土地をアヘン農場に作り変え、100万人のインド農奴を強制労働させた。それもアヘンの元となるアヘンの果実液の採集に適した、子供たちを中心に。

 そうやって製造した、純度の高いアヘンを、インドを介して清国へ大量に送り込むことに成功したのだった。

次はインドでのアヘン商社について、語っていくよ。

では、またね。







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