さてさて、先回アヘンの話をしたけども。今回はインドでのアヘン商社について。
ぶっちゃけるなら、アヘンの製造を統括したのは、全員ユダヤ人。インドのアヘン農場を経営していたアヘン商社には二つあり、
①ジャーディン・マセソン…今でも香港にヘッドオフィスがある大企業。日本の幕末~明治維新を影であやつった暗躍企業として登場するので、お見知りおきを。
②サッスーン商会…もともと中東系のユダヤ人、デビッド・サッスーンにより設立。現在もイギリスにサッスーン財閥を形成。マセソンよりずっと財力があり、「アヘン王」と呼ばれていた。こちらも日本の幕末~明治維新で暗躍しとりますので、お見知りおきを。
アヘン王…
この2つの商社を中心に、清国に持ち込まれたアヘンの量。これが半端ない量。清国民としては、自分で好んで買う、というより、お茶の代金として入ってきたりもするもんだから、手に入れるのは容易。なのであっという間に、清国民全体が「アヘン中毒」
この状態に、北京にいる清国の皇帝が大激怒。歴史上に残る逸材、林則徐が派遣され、広東にいるアヘン業者からアヘンを取り上げ、利用できないよう、処分。
このことで、「第一次アヘン戦争」が勃発。1838年から1840年までに抵抗する清国人が多数殺戮され。
その結果、世界で最初の不平等条約といわれる「南京条約」が結ばれたのであったのれす。
続きは次回。
では、またね。
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