さあ、クリスマスまであと少し。いよいよだね。
クリスマスと言えば、リーゼン、バイトの思い出ぐらいしかないけども。
今日(18日 夜)は大好きな『ジーマ』を4本も飲み、頭がハイ↑ & 児童養護施設出身の子と話したりしたので、モヤモヤした気持ちと プチ怒り。頭冷やして散文で語ろう。
↓ ここから モヤモヤした気持ちとプチ怒りの 本文
名古屋市内の繁華街を歩くと、どこもきれいなイルミネーション。いつも以上に足元が明るい。闇に追われることはない、でも通り過ぎる人々の足早なこと。
なんのために?せっかくのイルミネーション。クリスマス嫌いなリーゼンでも立ち止まるのに。
つくづく日本は平和な国なんだな、って感じる。どんな人にも、平和やら、過度に『人並み』を与えたがる。
日本ぐらいじゃね?社会に迎合される資質持たなくても、平和やら 人並みの生活 与えてもらえるの。
声を上げれば、公(おおやけ)が過度に救ってくれる。それが社会的に『有益』でなくても。だから、働かなくても、ニートやら生活保護やらにお金が注ぎ込まれる。
でもね…
声上げれない若者が自殺してる数が半端ない。声上げれない施設っ子は、公から守ってもらえるの、中学までだよ。高校受かると卒業までは施設にいられるけど、いろんな家庭事情で学習が難しかった子は施設からほっぽり出されちゃう。そんな子が、たくさんいるのに、障害持った子は、無試験で高校まで、学校生活が完全保証される。
なんだ、この不平等感は。どんな子にも、きちんと高校まで、無償化すればいいんだよな、国力あげるために。声上げれない子も平等にフォローしよう、政治家は。
ま、無理だけども。政治家の二世に高学歴与えるためには、ハングリーなやつらを排除するしかないからな。AO入試なんて、最もたるもんだぜ。
なんか、社会で生きてくための資格が、地位の高い両親を持つことやら、自分の困窮、障害を、クレーマー的に声あげれることやらに、なってる気もする。
テレビも、常識より非常識をもてはやす。ほんとは『非常識』は刺身のつまやワサビなんやから、ワキ役じゃなきゃいけないのに、テレビを見ると非常識芸人が司会の番組と、口パクミュージシャンばかり。
おかしくね?
というあたりが、リーゼンが外国で仕事をしたい理由なのだけど。リーゼンの求める豊かさっちゅうのが日本にいちゃ、得られないからな。今の日本のひどさは、中にいちゃ、わからないだろうしね。
↑ 以上、モヤモヤした気持ちとプチ怒り。
書いて、すっきりしたので…
↓ ここから、C調リーゼン。
…上に書いた散文のようなことを 考えながら、あのクリスマスソングを聴いていたわけだよ。
『戦場のメリークリスマス』
言わずとしれた、坂本龍一の作った、名曲中の名曲だ。
この曲は、絶対に映画を観ながら聴くべきだ。大島渚 監督のメッセージ。坂本龍一のメッセージ。
戦争の中で、相手を殺さないと殺されるという、人間の極限状態…猟奇的な…そんな中だからこそ、敵の人間であっても、愛や尊厳を持って接する。なぜかといえば、自分の中の『人間らしさ』との自問自答を繰り返すからなんやろね。
捕虜収容所にいる、いろんな国の、いろんな立場の人間が、クリスマスという、いわば神からの生きてることへの祝福を感じながら、収容所に降る雪を眺める中で流れてる、『戦場のメリークリスマス』を感じないと、あの映画と音楽を通して語られるメッセージは伝わらないだろう。旋律の切なさだけじゃないんだよ、大切なのは。リーゼンが思うに、
『ちっぽけな存在の人間一人ひとりは、切なくて愛おしい存在なんだ。生きてるだけで、素晴らしいこと なんだってこと』
この映画には、今年亡くなった、ミュージシャンでもあり俳優でもあった、デビッドボウイや、ビートたけしも出ている。すごい俳優陣だな、思えば。それも、全盛期の俳優さんたちだ。リアルタイムで観れたリーゼン世代は幸せだったんだな。
観たことない人は、一度観てくれい。ただのアンチ戦争映画でないことがわかるはずだ。エンディングにこめられたメッセージ、映画の中で、観た人それぞれが感じるべきだ。
ビートたけしは、決して上手い演技ができる役者じゃない。だから、メッセージがたけしではなく、観ている人の内面から浮き出るんだと思う。リーゼンは、田中邦衛とか、ビートたけしとか、豊川悦司とか、言葉で伝え切らない不器用な人だからこその 純粋さを持つ役者が、好きなので。
最後に『戦場のメリークリスマス』聴いとこ。
いつか、世界中の人々が、平等に 神様からの祝福を感じながら、天から降る雪を見上げられたら素晴らしいね。そんなメッセージを坂本龍一の演奏から感じないかい?あ、それはリーゼンの世界観か…
では、またね。
0 コメント:
コメントを投稿