京都の丹後半島から福井県!
上陸地については、いくつも説がある中で、なぜそう思ったか、それは。
①今につながる地名と名産。
②史跡と徐福にとっての、その地でなければならない理由
以上、二点がいくつもの説の中で、丹後半島から福井県だと、一番明快に解き明かせるからだ。
今回は ①今につながる地名と名産 について、リーゼン説を語ろうか。
まず、徐福が日本に渡航した理由、史実では始皇帝が『不老不死の薬を探させるために』渡航させた、ということになっている。
不老不死の薬、道教に関係する道士たち(いわゆる仙人たちね)より、主に水銀を元に作られていたのだが、薬の名前『仙丹』と呼ばれていた。
ここでピンとくる人が多いだろう。そう、『丹』後半島なのだよ。
そして丹後半島には、徐福伝説の伝承地でもあり、地名に『丹』にちなんだ地名がいくつか存在する。浦入(昔は浦丹生と書いていた)、大丹生、二尾、女布(にょう)…など。そして面白いことに、これらの地、断層に沿ってならんでおり、断層からは…そう。水銀朱が、とれるとこなのだ。
↑ 『間人』…日本でも有数の難読地名。読めたらすごい。ちなみに聖徳太子の時代に関連した人に因む地名。
また、名産品からの考察。丹後の名産といえば、『丹後ちりめん』
ちりめんといえば、『絹製品』。そう、シルクロードを旅していた一族でもあった、徐福(呂不韋)が伝えたと言っても過言ではないだろう。
絹製品が入る前の日本人、何を着ていたかというと、身近な樹皮や毛皮なんかを服仕立てにして着ていたらしい。
もちろん、絹製品は高級品。庶民が着られるようになったわけではなく、土地をおさめる長 への贈答に使ったのだろう。
まずは、以上 二点から、丹後半島から福井あたりに上陸し、探索に入ったと断定してみた。
徐福とは関係ないが、後世、麻織物が大陸から伝わり、平地でも容易に収穫できる麻を原料にした布が席巻し、樹皮や毛皮の布はメジャーではなくなったが、今でも藤の樹皮を使った『藤布』を作っている唯一の土地が『丹後半島』であることは興味深い。
また、『藤布』と並び 自然布として最近まで作られていた『対馬布』。長崎県の対馬で織られていた布の原材料は『大麻』。もちろん、あの大麻なので、栽培自体がやばいから、作る人がいないんだけど、大麻の名前に麻がつくから、多分、服の材料に使ってたんだろうね。
次回は
②史跡と徐福にとっての、その地でなければならない理由
について、話すよ。では、またね。
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