さて、リーゼン。学生時代より英語が大の苦手。巻き舌ができない(舌が厚く、短い)ので、「r」の発音がさっぱり。結局、『変な』発音のため、少しコンプレックスとなり、教科「英語」が苦手だったのだ。
受験に関しては、高校2年の担任が英語の先生だったので、逆に毎時間、しごかれて、人並みの成績にしてもらった、というのが本当の話。数学が大得意だったリーゼン、素直に理系に進めばよかったのに、『答えがきまっているのはつまらない』という理由だけで国立文系、それも古典に進んだことが、英語で足を引っ張られ、現在のポジションにおさまった最大のミステイクだったことは間違いない。何しろ、高校一年の全国模試、数学の順位が全国3桁の前半。河合塾からスカウトがきたぐらい(事実)
まぁ、それはそうとして。国際化、ということで、巷では『TOEIC』だの、『TOEFL』だのがおおはやり。高校生にも学校からとらなきゃ将来就職できない、風なプレッシャーをかけられる始末。
まぁ、外資系の企業に就職する、とか、仕事で英語圏の方と打ち合わせをする、などの方については、そういう学習も必要だとは思うけどね。
だからといって、それで就職が不利になることは、『まずない。』だいたい、英語(それもアメリカ英語)が世界共通語という認識こそがおかしい。
戦後のアメリカによる占領政策の結果とはいえ。日本の学校教育のまちがいはきわまれり。英語なんぞ、アメリカでの主要言語の一つにすぎず、別に英語が得意=国際人ではけっしてない。(むしろ、英語を使う=アメリカ文化=キリスト教文化、という誤った認識が進み、実際の仕事現場で業務が円滑に進まない、と話をよく聞く。つまりは、他国の人とのコミュニケーションのツールの一つであって、不可欠なものではないのだね。
その根拠を二つ、語ってみたい。
一つ目。英語を公用語として使う国の少なさ。
こんだけだよ。英語を公用語としている国。これで、国際人とははなはだ恥ずかしい。それをいうなら、元世界帝国、スペイン&元海洋王国、ポルトガルの言語、スペイン語、ポルトガル語圏の広さ。
とかさ、フランス語圏の広さ。
だいたい、アメリカ本土も、大都市では、スペイン語が普通に通じる。必要なのは、自分の気持ちや意思をどう伝えるか、相手の意思をどうくみ取るか、のコミュニケーションスキルなのだと思う。
根拠の二つ目。
日本の文部科学省が勧めているTOEIC。こんなん勉強しても、VISA(滞在許可証)もとれない。海外大学にも入学できない。TOEICを勉強しているの日本と韓国だけ、という現状がある。
使えるものとしては、『TOEFL』と『IELTS』ぐらい。それも補助的なツールとして、ね。
『TOEFL』と『IELTS』は両方共130を超える国々、7000以上の機関がスコアとして認めているから、多少はましだけど。
では、国際化とはなにか。次回へ続く。
では、またね。
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