2018年3月21日水曜日

おとぼけ新聞 号外 カルトとは 続々編

先回のつづき。

つまりさ、人間っちゅうのは、遺伝子学的に見ても、自分の遺伝子を『良し』として、『広く』後世に残していく、というのが根底に存在するわけだから。それこそがエゴ、と言われるものなんだからさ、自分の理性を基本として国家や生活を運営するなんて、どだい無理な話。

だから、『理性』の『理(ことわり)』を『エゴ』から切り離すには、超世界的な思想、宗教が必要なんだと思うね。

つまり、国家や多数の人が介在するコミュニティの成立には、『宗教』が不可欠。それはキリスト教やイスラム教みたく、確立されたものでなくても、どんな国にも、宗教的要素を持った、共通の思想は必ず存在してるからね。


そういった意味だと。人は、エゴを隠して?他人と交わるための基礎的行動…理性を持つための宗教的な活動は不可欠なわけだ。


ただ、汎用的な宗教は信仰者の多数派に迎合するような、教義から成り立ってるから、たまにはイレギュラーを、起こす信仰者もいるわけだ。その人たちからすると、その国家のもと、生活するのは、非常に居心地が悪い。では、居心地のよい国家や住むとこを選べればいいのだが、なかなかに難しい。

居心地の悪い国家に住んではいるけども、居心地のよいコミュニティを作る、または所属すればいいじゃん…つまりは、カルトの根本はそこだと思う。だから無くならない。

カルトの語源は諸説あるけど、カルトという言葉がメジャーになったのは、キリスト教徒の中で、保守的な教徒が異端的な教徒をカルトと呼んだのが元やから。元は同じ教徒、つまりコミュニティなんだよなぁ。


国家とカルト。存在意義が表裏みたいなもんやから、カルト的な集団はなくならないね、多分。


あ、オウムについて語ろうかと思ったら、さらに脱線したね。

飲み過ぎたので(笑)明日語ります。

では、またね。

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