2017年11月29日水曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その12

回天基地から、離れて。

大津島のほかの観光地も見ないとね。せっかくレンタサイクルも借りたんやし。

回天記念館&回天基地で約45分。残りは、船の時間があるので一時間十五分。ふれあいセンターの人が言うには、島一周が二時間ぐらいかなぁ、と言うことなので。

元サイクリスト🚴 リーゼンの全力を見せませう(笑)

とはいえ、借りれたレンタサイクルは、見事な『ママチャリ』。変速機?なし。26インチの普通の『ママチャリ』にて、滑走しそうじゃ、ありませんか。


とにかくね、眺めはいいんだよ、当たり前だけど。島一周できる道もなく、ほぼ直線で島東側を走る道のみ。一番北のへんで、西側に少しだけ回り込む道があるのみ。あと、一番南に、周回できる道があるが、これまた急坂。観光に力を入れたいんだから、入れたくないんだか…とにかく面白い島である。


港に、こんなお土産、売ってるんだけども。この『おしげさん』っちゅうのは、大津島にて、特攻隊員のお母さんと言われたおばさまでして。それを本人の許可なく、パッケージに使うとかさ…


マンガ『特攻の島』の表紙風にカレーをパッケージされてもなぁ。食べる気になれんわぁ。

ということで、山口県民、商売下手でござる。広島や福岡県を見習うべきである。

さて、大津島にて。リーゼンが行きたいと思えたところ。大津島が壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落ち武者が流れ着いた島だけあり。

『厳島神社』!

があるっちゅうもんでさ。



上の方に、厳島神社参道、なるものがあるのでさ、自転車飛ばして、行ったわけさ。









途中、島唯一の飲食店、『島食堂』もあったわさ。もちろん定休日だけど。予約しないと開かない店らしい。なんてこったい。


…あっ、あった、厳島神社…フレンドリーではあるが、手作り感満載の看板に、『ずいぶん不安』。

自転車置いて、歩いてみると。


看板からほんの3メートル。ここには、次の看板が。『親切やねぇ』と思いきや、違う看板(笑)厳島神社参道は、『めだか学校』を兼ねているらしい。リーゼンの不安感、3割増しになった瞬間である。


参道、見えます?不安ながらも進むさぁ。リーゼンは。ただし、最初の看板より、はや不安は2倍に。


…参道…なんだよ、これが。不安はすでに10倍ほど。
観光というより、探検に近くなってきたな。


…厳島神社、というのは、『神が居つく島』を表しているわけで、この石の配置はたしかに、厳島神社。本物の厳島神社にもあるけども。

なんだかな…


石のオブジェ?そんな洒落たもんじゃない。しかし何かを具現化してるのは確か。あえていうなら、戸隠神社の『天の岩戸』?


神が通る道…なんだろう。この空虚な気持ちは。


やった、着いたぁ。厳島神社だ。達成感の『なさ』は、この上ない。


祠は確かに厳島神社。リーゼン的には『おいしい』ネタだけども。みなさまは行かなくてもよいかと思いまする。


途中、auの回し者みたいな祠はあったけど。

もちろん、auショップは島中にはなし。残念な感じである。


ということで。大津島観光、無事に終え、帰ってきたよ。

島に息づく生活くささは感じたのでよかったけども。過疎の島だけど、必死さはあまりなく。よい石は取れるし、瀬戸内の海、魚は穫れるだろうから、贅沢さえしなければ、生活には困らないだろう。島民はひたすら、呑気である。



帰ってきた、徳山港にて。東横インの後ろに、横一文字に伸びるライトが『新幹線 徳山駅』。ほんとに近いのだ。

みなさまも、お近くにお越しの際はぜひ。

では、またね。










2017年11月28日火曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その11

前回のトンネルをくぐって…

いよいよ、目的地である、訓練基地。



ほら、瀬戸内の海、きれいじゃないっすか?

ほんとにきれいな海だったよ。


ここだよ。リーゼンが一番、来たかった場所。

『回天 訓練基地』

すごいっしょ?戦時中からほぼ変わらぬ姿で、残っているんだよ。


こんな風に基地に運んだらしい。



元々は、魚雷を発射するための施設。本土防衛&魚雷実験のための施設だったんだよな、多分。


ここから魚雷を下ろしたらしい。回天について書かれた本の中には、ここから回天を下ろしたみたいに書いてある本があるけど、ほぼ間違い。正解は



ここにあったクレーンから下ろしたらしい。そのまま残しといてくれたら、さらによかったな…


しばし思いを巡らせながら、基地にたたずんでみた。

死をかけて、守っていただいた国に住むリーゼンたち。

粗末にしちゃ、いけないよな…

でっちあげの資料で、日本人から金をとろうとする、某国(慰安婦像を立ててる、あの国)やら、偏向記事で惑わす在日マスコミなど…リーゼンは正確な記事で戦いまする。後世に負の財産を残してはいけない。日本を守らなきゃ。

そんなことを思ったな。



海岸に残る、白いコンクリート跡。これも回天を運んだ線路の跡。こんなのも残ってたよ。


ということで。人間魚雷 回天について、いろいろ巡ってみて。

命の価値が軽かった時代、と戦時中の日本を言う人がいるけども。

『とんでもないっす』

捨てる命の価値を自らに問いかけながら、蕭然と宿命を受け入れた、特攻隊員たち…

誰よりも命の重みを感じていたはず。

その思いを受け継いでいかなきゃ、ね。

次回は、回天から少し離れまする。

では、またね。

2017年11月27日月曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その10

地獄の階段に続いては。


what?なんだこれは?

大津島小学校隣、ふれあいセンターの横に見えるこの穴。




大津島小学校に昔あった、回天の整備工場から、訓練基地までのトンネル、なんと現存。

戦時中の建築技術、さらにセメントの質のよさったら、半端ないね。まだまだ現役で使えるレベルだよ。






この車輪跡。これこそが、魚雷回天を台車に載せて運んだ跡。跡ができるぐらい重かっただろうに、人力で運ぶとは…大変だったろう。


途中、基地や海岸を見張る抜け穴もあり。いざとなれば砲台入れて戦う用だよな、多分。


このトンネルの 恐ろしいところ。それは…






トンネル内に展示された、このパネルのあたりに来ると、急にアナウンスが流れること。

トンネル内に響く、低めの声のアナウンス…

本気でビビりジャンプしたよ、リーゼンは。

誰が考えたんだ、この展示…ちょっと迷惑っす。


次回へ続く。


では、またね。



2017年11月25日土曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その9

前回の続き。



瀬戸内海は自衛隊の海軍基地、呉があるためか、こんな軍艦がふつうに停泊している。
海洋国家、日本を守る 頼もしい『警護船』だ。間違いなく大切な船なのだ。

GHQによる、『ウォー ギルド プログラム』だっけ?が、効きすぎて、現代の日本人は平和ボケの戦えない国民に、なってしまい、自分の国を守る気概がない。

別にリーゼン、戦争したい、徴兵制度復活せよ、というわけではない。平和は尊い。ずるいようだが、戦うのは自衛隊。足りないとこは米軍にお金払って、とは思う。でもね。国を守る、平和を守る、ってのは、身を切って戦う気概を持つことが必要なんだと思うよ。

例をあげれば、永世中立国 スイス。戦争に巻き込まれないよう、外国の衛兵をやとうし、各家庭には銃が配られてるし、2006年までは、家を建てる時には、核シェルターを備えないといけなかった。つまりは、有事の時には国民がみな『戦う』ということだ。

島国国家、日本に住んでると、国は『存在していて、当たり前』と思えるけど。日清、日露戦争の時は間違いなく、国存亡の危機だったし、第二次世界大戦の前後も、間違いなく、国存亡の危機だった。

つまりは、反戦運動やってる人の大多数が、平和ボケしてるやつら。と言っても過言ではない。

われわれ日本人は、イスラエルの必死さを見習わなきゃいかんのだよ。資源を持たない国なんだから。


さて、大津島探索の続き。


感慨深く『回天記念館』を出て。



回天記念館は戦時中、兵士の宿舎だったらしく、この階段を降りて、回天の整備場や訓練所に降りたとのこと。あまりの訓練の厳しさに、帰りはフラフラで階段を上がったらしく、この階段は『地獄の階段』と言われていたらしい。


整備場&訓練所があった、元 大津島幼稚園、小学校、中学校の運動場の奥に階段があったので、のぞいてみた。フラついて落ち、大ケガをした兵士もいた、という話も『さも、ありなん』。結構、急な階段だ。


階段の隣には『回天 魚雷点火試験場跡』がある。もちろん夜間灯はないので、夜は怖い。小学校なんだし、壊してもいいのでは?



現在、島には、幼児が二人いるのみで、子どもはいない。よって、幼稚園、小学校、中学校は廃校。

結構、いい校舎なんだけどね。リーゼン、勤めたいっす。

次回へ続く。

では、またね。

リーゼン 山口に潜入珍道中 その8

前回の続き。回天記念館来訪について。


入り口を入ると、回天&母艦である、イ号潜水艦。有名なシーン、日本刀を上段に振り上げて別れを告げるシーンなのだが。これだけで胸にこみ上げるものがある。たかだか20歳そこそこの青年兵士なのだから。



回天の基地は瀬戸内海に集中していたが、リーゼンの住む愛知県…南知多町大井あたりでも訓練していたらしい。



http://tss-website.sakura.ne.jp/tss/travel/aichi/katana/katana.htm


同じく特攻用のベニアボート『震洋』の基地もあったからな、大井には。


今でも、海に船を下ろすコンクリート製のスロープは残ってるしな。





基地では、島を囲むようなコースで、命をかけた訓練が行われたとのこと。海上が見えない、回天の中、それも猛烈なスピードで、海図と時計のみで走行距離を暗算、舵を切ったんやから、これは怖い。大変だったろう。


 

実際は、イ号潜水艦に四機載せて出航。潜水しながら、敵の戦艦に近づくわけだが。ここに難点が。潜水深度80メートル以上だと、回天が故障する可能性があるので、回天を載せたイ号潜水艦は80メートル以上潜水できない。でも、敵戦艦から受ける爆雷を避けるには100メートル以上潜らないと避けられない。つまり、回天を載せた時点でイ号潜水艦も特攻機なのだ。


事実、回天が発進されないまま、沈められるイ号潜水艦が多かった。設計者、気づいていたはずだけど、なんとも…







地図を見ると。どんだけ広範囲で旧日本軍が戦っていたかがわかる。補給が追いつかず、餓死した兵士も多かったわけだな…ともかく、合掌。心痛いっす。









年表を見ながら、想いを馳せる。家族のため、国のため、未来の日本人のため、命を投げ打って戦った兵士の方々に、現代に生きる我々は どう応えるのだろう。深く、深く…考えなきゃならない。


次回へ続く。


では、またね。

おとぼけ新聞 号外 ナバホ族

先日見ていたwebニュースで、どん底の人生を送っていた男性が、ばあちゃんの形見の、古い毛布をアメリカ版『何でも鑑定団』に出したら、とんでもない値段になり、人生が一変した、とのニュースがあったが。

うらやましくはないけども。少しはうらやましい(笑)猫用の敷物に使っていた、との話なので、リーゼンの飼う🐶達の敷物を見直してみたらば。

激安衣類店『一二屋』や『ミツワヤ』で買った敷物ばかり。

こら、あかんわ。

ところで、リーゼンがこの記事で注目したのは、この敷物がネイティブアメリカンである、インディアンの一部族である、『ナバホ族』の敷物だっ
たということ。

ナバホ族…ネイティブ・アメリカンゆえに、アサバスカという系統の独自の言語を使う。これが発音がわかりにくく、白人には解読不可能。

この特性を使い、暗躍したのが、他でもない『大平洋戦争』。つまり、日本戦。アメリカ軍の暗号として使われたのだ。

ナチスドイツ軍が、解読不能と言われた暗号用の名機械『エニグマ』を使い、暗号を通信していたのとは対照的に、言語そのものを使うとは、アメリカならではの考え方。どちらも解読は難しいが、スピードや通信量は圧倒的に、アメリカ軍の方が上だろう。

頭の片隅に記憶していた『ナバホ族』。ひさしぶりに聞いたよ。

リーゼンもばあちゃんの形見の茶箪笥、みがきついでに もう一回、よくみてみるよ。→往生際悪いったら(笑)

では、またね。

2017年11月23日木曜日

リーゼン 山口に潜入珍道中 その7

前回の続き。いよいよ『回天記念館』へ。


記念館入り口への いわば参道の両脇には、回天での特攻で亡くなった兵士たちの名前の入った石版が。

リーゼン、心から合掌。


記念館入り口横には、回天のレプリカが。感想としては、『長細い』。あたりまえだけど、魚雷だからな…通常の魚雷を二つに切って、搭乗部をつけたわけだから、さらに長細いと感じるわけだよ。

長細いのに、舵の小さいこと。方向転換は容易でなかっただろう。ほんと、棺桶としかいいようのない非人道的兵器だ。



森繁久彌さんの、この詩歌…ここに込められた、亡き英魂への思い。ぐっとくるよ。特攻隊で亡くなった兵士の方々だけでない。あの戦争では、ほんとにたくさんの方々が亡くなった。その意思は?ほんとに愚かな戦いだったのか?平和な日本に住む我々が、お気楽に論ずべきことではない。我々がそうであるように、その時代時代で、人は懸命に生きている。

ただ、現代の我々は、死をかけて礎とするべき物を、持ち得ない。特に男は。

女性は出産という、ある意味死をかけて行う場面に立ち向かうわけだから。ほんとに大変なのだ…

対して現代の男ども。死をかけて行うべきことなんて、まずないからね。それはある意味、哀しいことなのかもしれないね。

未来の人間は、女性のみになる。遺伝子操作により、女性のみでの出産が可能になりつつある現代、男性はいらなくなるね、間違いなく。


さて、回天記念館の続きは次回。

では、またね。