入り口を入ると、回天&母艦である、イ号潜水艦。有名なシーン、日本刀を上段に振り上げて別れを告げるシーンなのだが。これだけで胸にこみ上げるものがある。たかだか20歳そこそこの青年兵士なのだから。
回天の基地は瀬戸内海に集中していたが、リーゼンの住む愛知県…南知多町大井あたりでも訓練していたらしい。
http://tss-website.sakura.ne.jp/tss/travel/aichi/katana/katana.htm
同じく特攻用のベニアボート『震洋』の基地もあったからな、大井には。
今でも、海に船を下ろすコンクリート製のスロープは残ってるしな。
基地では、島を囲むようなコースで、命をかけた訓練が行われたとのこと。海上が見えない、回天の中、それも猛烈なスピードで、海図と時計のみで走行距離を暗算、舵を切ったんやから、これは怖い。大変だったろう。
実際は、イ号潜水艦に四機載せて出航。潜水しながら、敵の戦艦に近づくわけだが。ここに難点が。潜水深度80メートル以上だと、回天が故障する可能性があるので、回天を載せたイ号潜水艦は80メートル以上潜水できない。でも、敵戦艦から受ける爆雷を避けるには100メートル以上潜らないと避けられない。つまり、回天を載せた時点でイ号潜水艦も特攻機なのだ。
事実、回天が発進されないまま、沈められるイ号潜水艦が多かった。設計者、気づいていたはずだけど、なんとも…
地図を見ると。どんだけ広範囲で旧日本軍が戦っていたかがわかる。補給が追いつかず、餓死した兵士も多かったわけだな…ともかく、合掌。心痛いっす。
年表を見ながら、想いを馳せる。家族のため、国のため、未来の日本人のため、命を投げ打って戦った兵士の方々に、現代に生きる我々は どう応えるのだろう。深く、深く…考えなきゃならない。
次回へ続く。
では、またね。
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