戦況の悪化はもちろん第1の理由。
ただ、お気楽平和論者の言うように、回天を使うこと自体に、勝算はなかったのか。
『回天』と言う名前には、『天を回らし、戦局を逆転させる』という願いがあった。よく、戦艦のソナー性能が上がり、魚雷による攻撃が難しくなった→不要になった93式魚雷に、若者を乗せて、特攻させた、と言われているが、真実は異なる。
GHQによる、劣った日本人観を基にした解釈の中で、戦時中の兵器についても、『時代遅れの』とか、もう終戦間近には、アメリカの兵器には全く敵わなかった、という説明しか、学校では習わなかったはずだ。リーゼンもそう。
だまされとるぞ!
終戦間近でも、日本の兵器はまだまだ最前線だった。物資の量は、話にならないけど、最新鋭の、兵器は、終戦間近でも作られていた。例えば、戦艦大和。搭載された46センチ砲は、現代の技術でも作れない芸術品。当時、こんな大砲を作れる国は日本しかなかった。
B29がすごい、っていうけどね。
日本もそれ以上の爆撃機、作ってたし、だいたいジェット機も完成していた。ただただ、物資の確保がしにくかっただけだ。
回天に使われた、93式魚雷についても、使われなくなったのは、性能が劣っていたわけではなく、むしろ、アメリカ軍の魚雷より数段優れていた。
なぜ負けたか、といえば、戦術。これに尽きる。
ただ、命をかけて闘った、御霊の方々に、後世の我々があーだこーだ言うのは、間違っておる。だから、まずは合掌しませう。
次回は、大津島を訪ねた訪問記を記しまする。
では、またね。
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