2018年10月15日月曜日

攻めろ!平成ラストイヤー スキー⑦

さて、人よりは寒さに耐えられる、というか、雪国に住んでたからね、耐える術がある、というか。

そんなリーゼンでも、スキーウェア着てても。

身体の自由がきかなくなったことが。

30歳過ぎに訪れた志賀高原。気温は−17℃。ただ、風がね‥結構、吹いてて。

さすがにこんときは、全く動かなかった。というか、コントロールが効かない。ロボット状態ですな、動きが。

ということで。やはり、人間、気温マイナスの世界はきついっす。

寒さできつい、といえば、頭に浮かぶことが。

網走監獄

現在の網走刑務所、ではない。明治時代の網走監獄、である。




そもそも網走監獄。人のほとんど住まない極寒の地に作ったのは、別に服役する受刑者を必要以上に苦しみを与えるためではなく、いわゆる

ロシアからの侵略を防ぐために、蝦夷の地を開拓する必要があった

からだからね。ほとんどの人が住まない最北の土地に、受刑者に道路やら鉄道の敷設、護岸工事をさせてインフラを整えてきたわけでね。

だから、ここには、無期懲役やら、政治犯が集められた。






受刑者はこんな感じの宿舎を監獄外の工事現場近くに建てて、寝泊りしながら工事をしていたわけで。

明治中期の日本って、西南の役とか元武士の反乱が多数あって、刑務所がパンクしてたんだよね。だから、言い方悪いけど、受刑者を減らす意味もあっただろうし、新政府側からすれば、『政府に逆らえば、こうなるぞ』という見せしめ的要素もあっただろう。

多数の受刑者の死を贖って進めた網走の開拓だけれど。

別に珍しいことではなく。

国家事業‥トンネル工事やら、ダムの工事やらでは、昭和30年代までは、普通に死者が出る事が頻発してたわけでね、一般の人でもそんな感じだったから、受刑者なんて、さもあらん。


刑務所の大前提といえば、『罪を自覚させ、贖罪させる』ことだからね。




こんな現代の刑務所じゃ、無理やわ。だから、『刑務所ホテル』なんて言われちゃう。生活困窮者が進んで入るはずやわ。労務も軽いしね。やっぱ現代日本、間違ってる。やはり罪は罪だ。罪が重い人はそれなりの受刑をしないと、法治国家は成り立たないんだよな、ふつう。

リーゼンもね、死刑制度は疑問を持ってるんだけど、ならば、実際15年で出所してしまう無期懲役はなくして、終身刑にすべきなんだよ。で、賦役は重く。そうしないと成り立たない。

次回へ続く。

では、またね。

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