第一次アヘン戦争のあと、イギリスと清との間に結ばれた「南京条約」。内容はご存知のとおり、①香港島割譲 ②多額の賠償金を4年で払え ③広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港 ④貿易完全自由化
といったもの。
でも、日本人が知っているのはここまで。実はこの後、4つの条約が結ばれたのをあまり知られていないだろう。ここに日本が幕末から明治維新、富国強兵にいたったいわば「亡国の危機」を日本国民が持つに至ったことと、明治維新の黒幕(主にイギリス)の暗躍につながる元凶があるわけなのだけど。
その4つの条約とは、『五口通商章程』『虎門寨追加条約』『望厦条約』『黄埔条約』の4つ。まず、『五口通商章程』『虎門寨追加条約』は『南京条約』とセットで考えればよく、ようするに、『南京条約』が強固に実施できるようにイギリスがごり押しをするために結んだ条約。幕末に武士たちが持った「亡国の危機」というのはこの追加された条約によるもの。簡単に言えば、①治外法権(外国人による犯罪を、自国の法律で裁けない) ②最恵国待遇(貿易においてイギリスを優遇せよ) ③関税自主権の喪失(関税をかけるなよ。イギリスが決めるから)といったようするに、いわゆる「不平等条約」。まぁ、ようするに『植民地への第一歩』なわけだよ。
そして、ずうずうしいアメリカ、フランスがしゃしゃり出てきて、「イギリスだけじゃ、ずるいぞ、うちともよろしく」と結ばされたのが、『望厦条約』(清とアメリカとの不平等条約)と『黄埔条約』(清とフランスとの不平等条約)。この2つが南京条約の翌年に締結されとるね。
これだけの仕打ちをうけてるのに、まだ、えらいよ中国は。民衆レベルでは外国人排斥運動を起こし、イギリス人たちを国から追い出し、国を守ろうとしている。まぁ、なさけないのは、清を宗主国とあがめていた李氏朝鮮。無策の結果、必要ないキリスト教弾圧なんかをこそこそとしていた。この頃、諸外国も国力がなく、全く魅力のない朝鮮なんぞ、目もくれてなかったのに、この隠れてこそこそ行動が、のちのキリスト教国家からの反発&恫喝を招き、じぶんとこで対抗する気力もないもんだから、「実は」のぞんで韓国併合へとつながりまする。日本が無理やり論は、歴史的捏造ですぞ。
さて、南京条約締結後、イギリスとしては、中国の揚子江や長江のような大河を登って、内地にアヘンを売り込みたいわけだけども、そこは清もつっぱねていた。そのあたりの小競り合いから…
『第二次アヘン戦争』
まぁ、国としての清はここで終わっとります。ただ、『第二次アヘン戦争』の敗北と、その後の『日清戦争』の敗北とで、中国の愛国者による、建国の志みたいなのが起きたのは確か。このあたりは、中国、確かにパワーがある。
整理しますと。
1860年に、「北京条約」が締結され、第二次アヘン戦争が終わり、いよいよアジアで残るは日本。
『金銀がいっぱいあるといううわさの、ジパング』
『生意気にも、鎖国をしやがっているジパング』
幕末のアジアはこんな感じだったのだよ。北京条約では、イギリス、フランス、アメリカに加え、調停に入ったロシアまで満州あたりの権益を清から奪ったからね。ほんと、当時の日本、風前のともしびだよ。
ということで、今回は難しいネタばかり。
次回は、幕末の黒船あたりまでいけるかなぁ。
では、またね。
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