2018年9月1日土曜日

リーゼンの休日 伊賀上野 小トリップ ②

前回の続き。

伊賀鉄道に乗り換えてね、揺られること、二駅(笑)→すぐだよ、すぐ。 上野市駅に到着。




忍者、忍者、忍者!

どんだけ忍者やねん(笑)

で、車内にいた、中国人七名の若者、一緒に降りたよ(笑)もぉ、どこにでもおるなぁ。中国人は。でも、マナーはいい方だけどね、中国人旅行者は。スキー場でも見るけど、言葉の激しさ?に慣れれば、気にはならない。中国語って、破裂音が多いからだよね、激しくしゃべってるように聞こえるのは。

旅行マナーな悪さっちゃー、やはり世界の嫌われ者、韓国人。ローマ法王に呆れられるぐらいだから、ほんと、どうしようもない。日本の最大の不幸だね、となりに韓国があるのが。


さて、上野市駅では。



まず、レンタサイクルを借りまする。ほんと、駅前にあるから助かったわ。ただ、値段がね。民間やから仕方ないけど、普通のチャリが一時間200円、一日1000円。電動自転車が、一時間300円。

で、店主のおじいちゃんに聞きましたがな。

市内は平坦かい?

そしたら、

電動じゃないとキツイよ。

なんて言うんだけどさ。距離を調べると大したことないんだよ、ほんま。なので、普通の26インチチャリを1000円でレンタル。住所と名前書くだけで、身分証明を見せろ、とかはなし。乗り逃げ、ないのかな?


漕ぎ始めて、まず、見えたのは『ダンジリ会館』 でもダンジリって、大阪の岸和田じゃないのかな…看板には『ユネスコ無形文化遺産登録』なんて書いてあるしな。時間があったら行くことにしよ。ちなみに忍者の格好を借りて市内を練り歩きたいなら、借りるのは、ここだ。


ともかく、上野市駅自体が、伊賀上野城の近くにあるから、市内から外れた方向に向かう→下り坂。   なので、結構スイスイ進む。20分ほど、いいペースでこぐと…着いたぞ。

①敢国神社!




古びた感は否めないけど、ちゃんとした 伊賀国一ノ宮。一番格の高い神社なのだよ。

伊賀国の中心、伊賀上野城の鬼門を守るために六世紀には存在した神社だけに、『持ってる感』はハンパない。


手水舎の龍口から湧き出る水も、古来より大切にされてきた『御神水』。これを求めて遠方からも訪れる『パワーアイテム』。





おや?容器(300円)が。リーゼン、もちろん買いましたがな(笑)自前の容器でいいんだけど、最小限の荷物で来たからね、お茶の入った水筒を空けるわけにはいかんし。




こんな感じで、静粛に『御神水』を容器に入れる。

飲むと長寿の効果があるらしいので、リーゼン、平均寿命よりは長生きできると思われます(笑)


さて拝殿でござる。三つの神様が祀られておりまする。

◯ 大彦命(おおひこのみこと)
     第8代孝元天皇第一皇子。『日本書紀』によると、四道将軍の1人として北陸道へ派遣されたという。

◯少彦名命(すくなひこなのみこと) - 右座。

◯金山比咩命(かなやまひめのみこと) - 左座。


さて、この三神の怪しさったら、まぁ(笑)ちなみに境内には、さらに怪しい神も祀られてるのでね、リーゼン、垂涎の神社でござります😈

できるだけ簡単に語りますと。
まず、大彦命の親父、孝元天皇。最近の学説では、実在しない天皇ではないか、と言われてるのだ。


神武天皇が天皇の最も古い祖先、だとしても。2代目から9代目の天皇については、『古事記』『日本書紀』に記されているだけで、全く痕跡のない天皇なのだ。→『欠史八代』という。

『古事記』『日本書紀』ともに、天皇や大和朝廷の正統性を示すために作られたファンタジーやからね。それも、この時代だけ、天皇が長命すぎる。神武天皇なんて、『古事記』で137歳だからね(笑)平均寿命、50歳以下の時代だぞ。

さらにね、『日本書紀』における初代神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と、10代崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「ハツクニシラススメラミコト」と読む。これを「初めて国を治めた天皇」と解釈すれば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。


つまりは。二代から九代までは、中国皇帝と同じく、天皇の血の正統性を示すための、架空の天皇であり、天皇家の実際の祖は、それ以降というのが、最近の学会での主流。

そこにね(笑)『古事記』『日本書記』の時代の豪族たちの思惑…うちも、この天皇が祖先だぞ、という偽証?が絡んできてるから、ほんとにやりきれん。

少彦名命、なんてのは、古代からの大豪族、『秦氏』が祖先として祀っている神さまだからね。

おそらくは。このあたりに進出してきた『秦氏』が、大体、平安時代中期ぐらいから、このあたりの氏神さまを、都合のいいように変えてしまった、としか、リーゼンには思えないな。

少彦名命と、そのおやじの大彦命、セットで祀られる神社、秦氏の所領にはたくさんあるからね。

では、その前は、といえば。たどればたどれるんだな、これが。

『延喜式』神名帳。
天皇制が一番しっかりしていた平安時代中期、国を治めるために、国内向けに、今で言う官僚たちが編纂した書物だからね、こいつは正確だ。

そこにはね。もちろん、敢国神社、のっとりますわ!さすが、伊賀国一ノ宮。

延喜式によるとね。敢国神社の元々の祭神は1座(つまり神さまは一人)で、国史に「敢国津神」とあるように「敢(あえ:旧阿拝郡一帯)の国津神」が本来の祭神であったと書かれている。この国津神としては、一帯に勢力を持った阿閇氏(敢氏/阿閉氏)の氏神となっているから…ま、秦氏が封印したい風の国津神だったんだろうね。


長長と書いちゃったな。


難しい話は今回は、これぐらい。以外の難しい話は次回にして。


この神社のよきところ。

『子供から大人まで楽しめる、おみくじ』

とはいえ。由緒正しいもんでは、ございませぬ。神主、かなりミーハーな方だと 思われ…




香りつき芭蕉みくじ…開運みくじ…



一年安鯛みくじ…鯛が釣れてよいけど…子供は喜ぶ…かな?



伊勢三郎義盛 忍百首みくじ!?あれ?伊勢三郎義盛って、伊賀市に関係あるの?

あ、ちなみに、伊勢三郎義盛というのは、平安時代末期の武士で、源義経の家来として有名な人。リーゼン、義経さん大好きだから、こんなとこで、義盛さんに会えるとは、びっくり感激❤️

あとで社務所で聞いてみたら、義盛さん、出生地が伊賀市ではないか、という伝承があるらしい。たしかに、義盛さんにちなむ伝承が、これでもかぐらいあるから、結構、この辺かもしれないね。


伝承はともかく。ほぼ間違いないのは、源頼朝に疎んじられ、追われる立場になった源義経一行が平泉に隠遁の旅を続ける最中に、伊勢三郎義盛だけが一行から離れ、伊賀国の守護を狙い、殺しそこねて、自刃したという話。これはほぼ間違いないらしいから。伊賀国にしてみりゃ、謀反者なんだけどな(笑)

でも、最近まで、実際に伊賀市の中に『三郎村』という地区があったそうなので。あながちホラ話でもないのかな。


ということで。


リーゼンはもちろん、伊勢三郎義盛 忍百首みくじをひいてみたよ。







ん?誠一郎。なんだそれは。今風のイケメンキャラカードのどれかがあたるようだね。で、誠一郎は…



中吉かぁ(>_<) 微妙だなぁ、中吉。内容は、まぁ、遠からず近からず。現状維持ということだね、やはり。


今回はここまで。まだまだ話は続くよ。

では、またね。

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