例年テーマを決めているのだが。今年は平成最後の年やからね、平成のスキーシーズンを振り返りながら…と思うのだけど、高校生までは全くやってなかったし、大学の時は金がなかったから、全然滑ってなかったしな。
結局!
なんだ、リーゼンもスキーは平成、広瀬香美のBGMで滑った世代やんけ(笑)語れるかいな…昭和、ユーミンのBGMで滑った世代だと、おもしろい記事を書けるんやろけど。
平成の30年で変わったこと?スキー板がカービングスキーになったことかな、大きなところでは。格段に滑りやすくなったよね…とはいえ(笑)カービングスキーの最初のモデルは、1992年にオーストリアのメーカー、クナイスルのエルゴ だと言われてるわけだけど、アルペンやヒマラヤなんかにはなかったし。だから社会人になって、本格的にスキーを始めたリーゼンならば、カービングスキーか、とお思いでしょうが、しばらくは滑りにくい、従来の板をはいていたのだな。
ちなみにカービングスキー、この頃、ぼちぼち出だした、スノーボードの板からヒントを得て作られた、と言われるので、欧州ではクナイスル、一年後に日本のオガサカ という感じで、スキー、スノボを作るメーカー が作り始めた。
1995年頃から、スキーの技術選(スキーの上手さ技術の日本一を決める大会)で、オガサカがカタログにはないカービングスキーを自チームの選手に出し、上位を独占した頃からだね、オガサカがカービングスキーを作り始めたのは。
1997年からはオガサカがkeo'sシリーズをカタログの上位モデルで掲載、これが世界初のカービングスキーだと言われてる。→製品として、ね。
で、1998年、長野オリンピックが開かれたこの年が、『カービングスキー元年』と言われる。有名スポーツショップに置かれるスキーが全てカービングスキーになったのが、この年だから。長野オリンピックでも活躍した、マイヤー選手が、昨シーズンからアトミック社のカービングスキーを履き、圧倒的な強さを見せたから、それからすぐだったな。
リーゼンが最初にはいた、カービングスキーもアトミックだったな。超攻撃的なショートターン モデル、8.18。いやぁ、激しかったね、こいつぁ(笑)
ともかく、ひたすらカービングを強制させられる。ズラしなんて、全くできず、常に雪面をかむ、という感じ。さらに板自体が硬い。一日終わるとぐったりだったな。ずらせないから、コブには入れんしさ、後にも先にも、面白いけど、使えない板ナンバーワンだったな、こいつは。
次回へ続く。
では、またね。
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