さて、敢国神社の境内には、いくつかのお社がありまして。
まず、本殿のとなりには。
祝詞殿。伊勢神宮やら、熱田神宮だと、なかなか近くで見れない部分やから、なかなか貴重かも、
若宮八幡社。名古屋にもあるね、若宮大通の由来になってる、若宮八幡社。元々は、仁徳天皇をまつったもので、武家がよく寄進してきた神社だね。
子授社。桃太郎岩といい、どうも、子宝や子孫繁栄を願うものが多いな、ここには。ま、敢国神社は『結び』の神社やから、縁結び、子宝ともに、結びだわな。でもこんだけ、『結び』ばかりテーマっぽく記されている、ということは、なんかあるんだよ、大体は。また調べてみるよ。
一番、残念だったのは、この上にある『むすび社』。一番上部にある、このお社こそが、この神社の秘密が隠されているんだろうに。なんと、スズメバチが営巣中らしく、立ち入り禁止。なんてこったい。
むすび社には
むすび社には
大願結びの実というものをかけられる。なかに願い事を書いた親書を入れて、むすび社にかけると、すべからく願いがかなうというすばらしいとこなんだけど。リーゼン、大願果たせず…残念。
大黒社。なんか、すごい守備範囲の広い神社だな、大黒さま もいるんかい(笑)
そして、リーゼンが、この神社に来た理由は、これがあるから、だよ。
市杵島神社!こんなとこに、鎮座なさってるとは。昨年、世界遺産になった、福岡県の宗方神社と同じ御神体ですな。あとは
厳島神社。ここも、市杵島姫が祀られておりまする。神社名も、市杵島(いちきしま)がなまったもの。
そして、市杵島姫が祀られているところ、すべからく、『秦氏』の治めていたとこやからね、やはりいたか、ここにも。
秦氏のいるところ、必ず産業あり、確かなので、
おそらくは…伊賀上野市は、水には恵まれた土地だから、鍛冶屋か、石切を営んで、豊かな資本で伊賀上野というか、一山越えた京都府…都を牛耳っていたに違いない。この辺り、相変わらず抜かりはないな、秦氏は。
あと見逃せないのが、敢国神社、昔の文献に一宮諏方社と記した記録がある。神社のある伊賀国と山を隔てたとこに、忍者で伊賀とともにゆうめいな甲賀があり、その甲賀の地頭であった、甲賀三郎が諏訪明神になったと言われる。伊賀と甲賀、隣接してスパイ組織があるなんて不思議だが、日本史の裏で暗躍して来た秦氏が治めていたなら納得。ともかくもしたたかなのだ。
社いっぱい、ご利益いっぱいの『敢国神社』。ぜひ一度はおいでまし。
敢国神社と厳島神社。鳥居も同じ形でござるので。そのあたりも必見でござる。
敢国神社については、もすこしまとめて後日、紹介するね。
小旅行記はまだまだ続きまする。ではまたね。
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