2018年5月22日火曜日

おとぼけ新聞 号外 自分らしく生きるには②

栗城史多氏については、亡くなったことでもあるし、彼の虚言癖を掘り返してどうのこうのは言うつもりはない。彼の誇大広告にお金を出して応援しようとした方々が多くいた人も事実だが、お金を出した人に、見る目がなかっただけなので、これも責められることではない。

https://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/

ただね、彼の存在が、日本の縮図であったことは確かなんだな。

たとえば、堀江 貴文。












あんだけ、悪いことしても、擁護し、英雄視する若者がいるわけさ。

まぁ、世の中には『だます人』と「だまされる人」がいるわけで。

確かに『だまされる人』が悪いという部分もある。

でもね、圧倒的にだます人が悪いのだし、それを英雄視するのは、センスとしておかしいのだよ。

乙武洋匡もそう。

彼を障害者としてではなく、一人の人間として扱いたいからいうのだが、やってきたことの汚さといったら、古今まれに見るレベルなんだよな。そこに障害者という、善意フィルターがかかるだけに、本当に罪深い。

どんだけ人間性が最低でも、障害者というだけで、責められない。それを確信犯的に生きてる彼は、どうしようもない人間なんだけども。

というのも。児童養護施設の出身の子は、成人になると守ってもらえない上に、世間の目の厳しさといったら…やはり、バランスが悪いのだ、日本は。

なのでさ。

栗城氏や、堀江氏、乙武氏に共通するのは、彼らを便利に利用している大人たちがいて、まぁ、利用されてる彼らが、まさに目指すとこであっちゃいかん、ということ。

では、何を目指せばいいのか。

次回、語りまする。

では、またね。

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