ベトナム編ということで、何回かに渡り書いてみたけども。
結局リーゼン思うのは。
『戦争に正義はない』という、しごく当たり前のことと、『地球上の生物に生態系から外れた生物も、他との争いを失う生物もいない』という真理。この相反した思想こそが、戦争の難しさだよね。
まず、『戦争に正義はない』ということ。つまりはお互いのエゴ。自分が心地よくいたい、ということやからね、どちらにとっても。どんなにきれいごといっても、正しい理屈はないんだよ。殺戮を正当化する理屈はね。
対して、『地球上の生物に生態系から外れた生物も、他との争いを失う生物もいない』ということ。遺伝子レベルでいえば、他の生物、特に同性の生物を消し去ることは『正しい』ことだからね。ようするに、自分の遺伝子だけを、数多く残せばいいわけだから。つまりは、戦争肯定派の言っていることにも一理ある。
でも、まぁ、生物すべて『感情を持つ』ものだと思っているからな、リーゼンは。やはり他を殺戮して生き延びるのは、タブーなわけだよ、自分的にはね。ただ、優劣を争うものだとは思う、本質的にはね。
前から、リーゼンはよく言うけど、『世界に一つだけの花』の「ナンバーワンでなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」などというたわごとは、全くくだらないと思う。自分が好きなこと、これだと思うこと、特別に思える趣味や興味、はたまた愛情を持つ対象を、『だれよりも大切にしていく』。これこそが、他と自分がたたえ合い、尊重しあえるスタート点だと思うのでね。人は人、とはいうけども、堕落した自分を、「自分は自分だから」とエゴに走るのは、全くもって『ナンセンス』な考えなんだよ。それは、「旧ソビエト連邦」の崩壊が証明している、自分の怠ける心さえ言葉や考えで美化して逃げ込める、いわば人の弱さなんだよ。
そして、戦争のおろかさとは、単に対立国同士だけの思惑とは違う、いわゆる第三者が『濡れ手に泡』を行うことで、本来の争点とかけ離れた結果へと突き進む、これこそが『戦争のおろかさ』だと思うのだ。
では、第三者の『濡れ手に泡』とは。次回へ続く。
では、またね。
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