小説『罪の声』では、フィクションの犯人で事件は解決するわけだけども。
ま、これはこれで、ありだと思うけども。
違うなぁ…
ということで、リーゼンとしてはまことに信憑性のある方のページより、文章を転用させていただく。
転用ここから
「グリコ森永事件」については、ご年配の方なら誰も知らない人はいないはずです。
しかし、若い世代の人の中には知らない人がいるかも知れませんので、簡単に説明しておくと、「かい人21面相」と名乗る犯人が、グリコや森永などの食品会社を脅迫した事件で、結局、犯人は分からずじまい、時効も成立。事件そのものも迷宮入りになってしまいました。
○グリコ・森永事件 – Wikipedia
この事件が起きた当時、テレビも新聞もまさに「かい人21面相」一色でした。「劇場型犯罪」という言葉が使われるようになったのも、この事件からです。
ニュースがエンターテイメント化していったのも、この頃からだと言えるかも知れません。
で、実のところ、この「グリコ森永事件」は明らかに「JAL123便墜落事故」と明白な関係がありました。
「グリコ森永事件」は「1984年3月」に始まり、それからおよそ一年半後の「1985年8月12日」に終わりました。
「かい人21面相」がその日、いきなり「もう許したる」という声明を発表し、それ以来、完全になりを潜めてしまったのです。
で、こうして「グリコ森永事件」が幕を閉じた「1985年8月12日」に、実は「JAL123便の墜落事故」が起きてしまったのです。
もちろん、この奇妙な符合に気付き、不審に思った人がこの日本には何人もいました。彼らはもしや「グリコ森永事件」と「JAL123便の墜落事故」とには何かしら関連性があるのではないかと思って調べはじめました。
その結果、「かい人21面相」が脅迫した「ハウス食品」と「不二家」の社長が、実は「JAL123便墜落事故」によって死亡していたことが分かりました。
二人とも、なぜかこの墜落した飛行機にたまたま(?)搭乗していたのです。
いいえ。それだけではありません。実は「グリコ森永事件」の犯人とおぼしき人物もこの飛行機に乗っていました。
「グリコ・森永事件の捜査を担当された大阪府警の或る捜査官が、全国に指名手配されていたグリコ・森永事件でのキツネ目をしたモンタージュ写真の人物は、JAL123便機の事故で死亡したようだと述べた」とのこと。(出典はこちら)
このように、「グリコ森永事件」と「JAL123便の墜落事故」には明白な関連性があるのです。
こんなものは単なる偶然ではないかと考える人もいるかも知れません。しかし、結論から言えば、この二つの事件には本当に明白なつながりがあるのです。
というのも、「JAL123便」を攻撃したのは「教皇派」であり、「教皇派」といえばアメリカ・ロックフェラーです。つまり、「JAL123便墜落事故」の黒幕はロックフェラーだったというわけです。
で、「グリコ森永事件」も実は単なる脅迫事件ではなく、ロックフェラーが仕掛けた一種の金融事件でした。
どういうことか、簡単にご説明しましょう。
ある食品会社の商品に「青酸カリ」を混入したと脅迫し、それをマスコミ各社が大々的に報じれば、当然、その食品会社の商品はまったく売れなくなります。
そうすると、その食品会社の株価があっというまに大暴落します。
その際、その企業の株主があらかじめ「空売り」を仕掛けておけば、ボロ儲けすることができます。場合によっては、億万長者になれます。(「空売り」は、株価が下落すると儲かる仕組みになっています。詳しくはこちら)
で、実際に「グリコ森永事件」で犯人のターゲットとされた食品会社は、その株価が大暴落してしまいました。陰で密かにボロ儲けしていた人がいたということです。
転用ここまで
つまり、『グリコ森永事件』単独では解けない不可解な結末を、『日航機123便』墜落事故とともに見ていくと、なるほど、わかることが多い。
『日航機123便墜落事故』については、これまたミステリーの塊。調べればわんさと裏の顔が出てくる。
ま、明らかにするとブログ閉鎖の憂き目にあうので、やめとくけど。みなさまで検索なさって❤️
では。またね。
0 コメント:
コメントを投稿