今回は、徐福がまず 何をしたのかを考えてみたい。
ただ…史実として残っているわけではない。ここからが空想力であり、歴史考証のおもしろさ、である。
ましてや、リーゼン、別にこれで食べてるわけではないので、ある意味、立ち位置が自由。だから、これまでも、政府や地方自治体からの研究費しか得られず、それらの機関の思惑や利益に引きずられる大学教授より、吉村作治のような一匹狼的な個人研究者の方が正確に史実を記してきた。
立ち回りがうまい大学教授や評論家は、それら個人研究者の研究成果をまとめて発表し、ふんぞりかえってるがね、もってのほか。
ま、いいや。今回は徐福がやろうとしたことだったね。
大前提として、徐福はユダヤ系の人。ペルシャの要素も入ってるがね。基本は旧約聖書を規範とした生き方を目指すはずなのだ。
徐福が渡来地でやろうとしたこと、それは
『エデンの園を 作り、住むこと』
ファンタジーじゃない。ここを理解しないと、日本の、神道は理解できないのだ。
神社が山の中腹や森の中に作られているのはなぜか。手水舎や小川が神社の中にあるのはなぜか。
出雲大社の神殿が、高すぎる位置にあったのはなぜか。
これら全て、聖書に描かれた理想郷を徐福をはじめ、彼と共に渡来したユダヤ人たちが作り上げた結果にすぎない。
さて、聖書にある、エデンの園。どんな場所かのイメージがわかないと、話が進まないので。もう少し 話してみると。
まず徐福について書かれた、史記から、読み解くと。
紀元前219年、徐福は始皇帝に、東の海に蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めて旅立った
と書かれている。そのまんま受け取ると、
『神のいる(とされる)山を探しに行った』
ということになる。
ユダヤ人を始めとした、聖書を信仰する人たちがイメージする山とは。
こんな感じ。なんか、宮崎駿の映画に出てきたような…イメージあるね。その通り。宮崎駿さん、この絵からコンテを起こしたと 言われてるから。そのぐらいメジャーな絵なんだけど。
宮崎駿からは 一回離れて。
この絵を見て、何かを想像できないか。
『蜃気楼だ!』
そして、蜃気楼と言えば…
富山湾?いやいや、福井県や丹後半島でも見えるのだよ。
おそらくは。
徐福が渡来する前に、古代日本に住んでいた、ニーファイ人、聖書系の信仰ではなく、いわゆる『岩』『山』を信仰の対象としていた。
ニーファイ人たちが、徐福たちをどう迎合してしていったか、このあたりがキーワードではないかと、リーゼンはにらんでいる。
今回はここまで。興味ある人は、ニーファイ人について、検索かけてみては。面白いことがザクザク出てくるよ。
では、またね。
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