2017年1月2日月曜日

世の中にあふれるウソ その24 古代日本

       
さて、今回は

②史跡と徐福にとっての、その地でなければならない理由
について、語ろうか。→新年そうそう、すみませぬな。

上のイラスト、徐福の身上を よく表しているな、と感心したので、引用してみたよ。

『徐福』『ユダヤの六芒星』『八咫烏』

八咫烏については、どこかで話すけど、現代の 秦氏系列の象徴となっているシンボル。裏神道の世界ではよく出てくるが、京都の下鴨神社や、奈良県にズバリの『八咫烏神社』があるが、表舞台には出てこない。しかし歴史上、一度だけ現れたことがある。織田信長と敵対した、本願寺の僧兵に助力し織田信長を散々 苦しめた鉄砲大名である『雑賀衆』のシンボルマークが『八咫烏』だった。中でも『雑賀孫市』は有名。

 

まぁ、リーゼンの研究そのものズバリが『裏神道』やからね。八咫烏も馴染みのアイテムなのだよ。

今回は、話が広がり過ぎないよう、徐福だけにしとかなきゃ。


さて、徐福が渡来する古代日本。縄文から弥生時代について話すとね。

そもそも、弥生人には、ニーファイ人と 徐福をはじめとした、大陸渡来(大陸から、ボチボチ渡っては 来たと思われるが、たくさん渡ってきたのが、徐福の時代やから『徐福集団』と呼ぶ)の二系統あるのでね。
縄文人との違いを強調する意味で、弥生人は、徐福集団のほうをイメージされることが多いけども。

実は、古代アメリカからきたニーファイ人やレーマン人も古代日本には、渡ってきていた。特徴は、体毛が濃く、顔は彫が深く二重まぶたで濃い顔。

対して、徐福集団は体毛が薄く、顔の彫は浅く一重まぶたの薄いと想像される。

弥生時代に入ったと思われる時代というのは、東日本島のレーマン人(アイヌ)の縄文時代から、西日本島のニーファイ人(クマソ、琉球民族)が 南方から渡来し、弥生時代をはぐくんでいた…そんな中で 紀元前3世紀、中国大陸から渡来したのが、徐福集団。

つまり、徐福にとって、渡来のための条件は、①ニーファイ人の勢力が弱い ②不老不死の薬の材料、朱銀が取れる、火山性断層があるところ ③船が停泊しやすい川岸を持つ、河口があるところ。

この三点じゃなかったか、と思うのだ。

それはどこか?

ニーファイ人は、南方から勢力を伸ばして来てるので、九州南部から四国あたり…瀬戸内も勢力下だろうな。とすれば…必然的に、日本本土の 日本海側。その中で、3つの条件を満たすのは、ずばり、丹後半島から福井しかないのだ。

さて、今回、徐福が1回目の渡来で、上陸したところを、仮定として特定してみた。次回は1回目の渡来時に 上陸後、何をしたかを推理してみたい。

では、またね。

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