2017年9月28日木曜日

音楽の思い出 その86 アンルイス②

先回に引き続き、アンルイス。

『WOMAN』の次に、印象に残ってる曲といえば。

『ああ無情』

いやいや、タイトルもすごいけど、歌もすごいぞ。

何しろ、昭和60年ぐらい。まだまだ、バブルの生き残りがいた(笑)そりゃそうだな、ジュリアナ東京のあたりだ。

経済的には、バブル景気は少し落ち着いてたけど、人々の気分はまだまだ、イケイケだった。

なので。

この曲もイケイケバージョンだぁ。




すごいね、このドライブ感。対抗できるのは、全盛期のXか、聖飢魔Ⅱぐらいやね。


ちなみに。


バブルの最後という以外にも、この曲には、当時の世相を反映しているバックグランドがある。それは。


カラオケボックスブームの前だ。


ということ。では、大衆はどこで歌ってたのか。それは。

スナック

今でこそ男性の社交場にとらえがちだが、当時は居酒屋→スナックへと、男女問わず流れたもんだ。というのも。

カラオケがスナックにしかなかった。

大体がカラオケ自体がCDカラオケ。またはスナックに行くと、最先端のレーザーカラオケがあった。

ママさん、この曲、お願〜い

とリクエストすると、何やら おごそかなレーザーカラオケ棚から、バカでかいレーザーディスクを取り出して演奏が始まる。

このレーザーカラオケ、リース料が高かったので、業者にした貸していなかった。つまり。

歌を歌いたきゃ、スナック!

という時代だったのだ。

さて、スナック。意外と明るい雰囲気だった。女性客がいるのだから、当たり前か。

そして、店の中には奇妙な連帯感が。一曲300円ぐらいとられたから、大切に歌うし、他の客の歌にも耳を傾けた。

そして、生まれた文化が。

『合いの手』

客の歌う歌に合わせて、主にスナックのママではない?店員が、合いの手を入れてくれるのだ。地域色もあり、なかなかに面白い。

この曲の、メジャーな合いの手と、最近、48系列で作った合いの手を聞いてみてくれ(笑)







この時代のカラオケは、スナックでうたわれた、ということを知らないと、48系列のバージョンのような、軽々の内容になっちまう。

大切なのは、酒場での『他人との触れ合い』 なのだよ。

店員が合いの手を入れることで、店内の客全体に、連帯感が広がったからな。今はないな、あの連帯感は。

世知辛い、世の中っす。


では、またね。


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