2017年9月8日金曜日

おとぼけ新聞 昔話 うらしまたろう③

古来からの書物にも登場する『浦嶋太郎』

『古事記』や『日本書紀』が全くの空想ファンタジーで書かれたものでないことは明らかなので、『浦島太郎』が登場することには、何か意味があるのではないか、とリーゼンは考えまする。

では、『浦島太郎』は何者??
先回までの話も含め、いくつかキーワードをあげてみたよ。

○『古事記』の中での、神武天皇の水先案内員としての存在。
○神武天皇は九州から船で東に向かう際、紀伊半島でその土地に住むの毒気におかされていたところ、海人族(あまぞく)に助けられたことも書かれている。
○『日本書紀』では、雄略天皇の時代に浦嶋子が存在し、蓬莱山へ行って仙人たちに会ったという記述。
○蓬莱山とはどこか
○玉手箱とは?
○『300年』という数字の秘密

まず、前提として、リーゼンが考える日本古代史とは、海から渡来した民族が、土着の民族を支配していったという点。

であるため、神武天皇の水先案内人として、日本にすでに住んでいた「キーパーソン」がいたと考えてみれば。

神武天皇も渡来人、その水先案内人となるべき人物、やはり渡来人系の人だったと考えられる。少し前に日本に渡来した、という感じのね。でなければ、神武天皇を含む『新渡来人』が、水先案内人となった『旧渡来人』の欲する『いいもの』を持っていたか。だろうなぁ。

また、『日本書紀』で書かれている、神武天皇が九州から船で東に向かう際、紀伊半島でその土地に住むの毒気におかされていたところ、海人族(あまぞく)に助けられたとの記述。

この海人族とは。
別名、『安曇氏』ともいう。

『安曇氏』とは、綿津見 命(わたつみのみこと)を祖とする地祇系氏族。現代の自分たちとも関わりがるところとして、リーゼンの住む愛知県だけに限っても、

☆渥美半島~豊川…安曇氏をルーツとした、「渥美氏」が統治していたことから地名に。さらにさかのぼれば、渥美の古名は『飽海(あくみ)』。昔は渥美郡は『飽海郡』、豊川は『飽海川』と呼ばれていた。
☆愛知県海部郡…海人族の長を『海部の宰(かいふのみこともち)』といったことから地名に。

などの痕跡を残している。

リーゼンがなじみの深い『安曇野』も安曇氏が統治していた地域だし、温泉で有名な奥穂高山頂にある穂高神社は安曇氏が祖先の神を祀った神で、「錦津見命」など海神を祀っているので、山頂で参拝すると、海の神がなぜ?とびっくりする。


今回は、浦嶋太郎とはあんまり関係のない?と思われちゃいがちな「海人族」について話してみたけど。

次回、浦嶋太郎との関連について話すので…今回はここまで。

では、またね。










 

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