2017年9月20日水曜日

世の中にあふれるウソ 36 明治維新⑫

次回に続く、このネタ。理由の二つ目を話そうか。

マシュー・ペリーとは、何者だったのか。













実はペリー、アメリカ海軍の将校ではないのだよ。ましてや『太平洋艦隊』提督というわけではなく、実を言えば『東インド会社』所属、東インド会社の艦隊を指揮する提督、というわけだよ。

何しろ、この頃のアメリカ本国の海軍というか、アメリカ軍、独立戦争やらカルフォルニア併合のための戦いやらで疲弊していたから、そもそも余裕がない。対して東インド会社。アヘンやら、油やらで大もうけしており、力を持っておった。

この頃のアメリカの東インド会社、何で儲けていたかといえば『鯨油』。石油のないこの時代、照明などで鯨油を使ってたため、世界最大の捕鯨国だったわけだよ。今じゃ、『反捕鯨』をのたまってるくせにね。アメリカには昔も今も、隣人愛や動物愛護の精神はございやせん。

当時、アメリカの捕鯨基地といえば、「ニューベッドフォート」。東海岸のマサチューセッツ州にあった。そしてペリーはニューベッドフォートの近くで生まれ育った人。つまりは、東海岸から出発するのは、ペリーにとっては当たり前のことだったんだね。

ペリーに関しては横須賀市久里浜に「ペリー博物館」があるので、行くとなかなかよいよ。裏のうらをとりたいリーゼンには物足りない施設だけど、ペリー来航のあらましは わかると思う。



では、またね。

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