2016年11月23日水曜日

世の中にあふれるウソ その13 古代日本 秦氏について②


先回、紀元前500年ぐらいまでの、今後の説明に必要な史実を述べてきたけども。今回は秦による、中国の統一まで、語ろうか。


まずは、上の図をみてくれ。、中国の古代の図。紀元前500年ぐらいの「春秋時代」のもの。そして下の図が、それから 200年ちょっと進めたときの勢力地図。





紀元前260年ごろには、こんなふうになる。このあたりの中国史は、ディープすぎるので、割愛。マンガ「史記」とか読んでもらえば、多少はわかるかな。

上の図、下の図、共に注目してほしいところ、それは、一番西にある国、共に『秦』なのである。つまり、当時栄えていた、ペルシャやバビロニアなんかの影響を一番受けたのは、シルクロード他、西からのルートの経由地、『秦』なのである。

さて、『秦』について、必要なとこだけ、変遷を説明するよ。

リーゼンの話に必要なこと、『秦による中国統一』。なぜこれまで何百年にもわたって できなかった統一が、できたのかのストーリーを簡単に説明しなきゃ…いかんか。難しいなぁ…でもお酒パワーで、がんばるよ。

称して…『始皇帝物語』 創作 リーゼン
キャストは
 ●『政』(のちの始皇帝) 
 ●『呂不韋』  
 ●『異人』(のちの子楚、そして秦の荘襄王と改称) 
 ●『趙姫』
 ●『夏氏』(『異人』の実母)
 ●『昭襄王』
 ●『華陽夫人』

あらすじ
①【呂不韋、異人と出会う】

時は秦の『昭襄王』の時代。各国を渡り歩く商人として、財を築いていた『呂不韋』、趙の人質となっていた『異人』と出会う。この『異人』、『昭襄王』の実子ではあったが、生母の『夏氏』が『昭襄王』の寵愛を失っていたため、王位を継げる可能性は低く、人質の身に甘んじていた。



②【呂不韋の野望。異人、昭襄王の王位継承者に】
『呂不韋』は『異人』の将来性にかけることにし、当時、『昭襄王』が最も寵愛をしていた『華陽夫人』と姉に贈り物攻撃。ついては『異人』を実子養子として迎え入れるよう懇願。『昭襄王』との間に子供がいなかった『華陽夫人』、『昭襄王』が高齢だったので、死去の際に権力を失うことを恐れており、『呂不韋』の提案を快諾。『華陽夫人』の『昭襄王』への「おねだり攻撃」も大成功。『華陽夫人』の養子となり、『子楚』を名乗る。

③【呂不韋の愛人、趙姫、子楚の寵姫として差し出す】
『子楚』は『趙姫』が気に入り、どうしても譲ってほしいと『呂不韋』におねだり。まぁ、『呂不韋』としても、おしいところだが、もともと娼婦の『趙姫』、まぁ、いいやと譲る。ただ、この『趙姫』、『呂不韋』の子供を身ごもっている中での『子楚』への譲渡。もちろん、そのことは内緒。のちに子供が生まれ、『政』と名付けられる。
『趙姫』、娼婦から皇后候補にのし上がる。

④【昭襄王死去、その弟もすぐに死去。子楚が即位、荘襄王となる】
とうとう、『子楚』が即位、『荘襄王』となる。(以降、『荘襄王』)
『趙姫』は皇后、『呂不韋』は丞相として権勢をふるう。

⑤【荘襄王、4年後死去。皇太子 政 即位】
即位してから4年で『荘襄王』、急きょ 死去。皇太子『政』王位につく。
『呂不韋』は仲父(父に次ぐ尊称)となり、権力アップ。
『趙姫』は太后の位に。

⑥【呂不韋、太后と姦通。ばれそうになったので、他の男を宦官として送り込み証拠隠滅。だが、これがもとで失脚】


『呂不韋』、未亡人となった『太后』とよりをもどしてしまう。ばれたらやばいので、巨根の男を宦官として送り込み、証拠隠滅を図るが、失敗。もともと宦官とは、男の大切なとこを切られた人たち。あそこが ついとったんじゃ まずいのだ。

しかし、『太后』、宦官ごときの男と子供を二人も作ってしまう。
このスキャンダルがばれ、なおかつ宦官が、クーデターを起こそうとしちゃったもんだから、「ジ・エンド」→『太后』、宦官、子供二人は処刑。

送り込んだのは『呂不韋』なので、罪を問われたが、流罪で許される。でも翌年、服毒自殺。

⑦【政、李斯を丞相に任じ、国力大幅にアップ。中国統一へ】

呂不韋が失脚したあと、政が実権を掌握に成功。
李斯が丞相に任じられると、国力増強に貢献し、韓・魏・趙を滅ぼした。そのあと、紀元前221年に斉を滅ぼし中国を統一した。政は自ら皇帝を名乗った(皇帝を称する始まりなので、始皇帝という)

わ…わかったかな???

リーゼン、つかれたよ。マンガ『史記』14巻ほどを簡潔にまとめるなんて…  

おうちゃくもの の リーゼンならではですな!!

では、次回、この『始皇帝物語』を使って、ミステリーを語っていくよ。

では、またね。

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