2016年11月10日木曜日

リスペクトしてるもの その3 倉本 聰①



今年の7月、大きな歴史の節目が起こった。オーバーかなぁ?

いやいや、リーゼン世代には、やはり馴染みの深いドラマ『北の国から』の…記念館が閉じたのだった。

最後のスペシャル、『北の国から '02遺言』から、はや14年。『北の国から』で、倉本さんが伝えたかったことは、もう十分に伝わり、ドラマとしての役割は果たし終わった、ということなんだね。



さて、名作ドラマ『北の国から』の原作者といえば、倉本聰さん。北海道のイメージが強い、倉本さんだけど、実は東京生まれの東京育ち。一時、疎開で離れたことはあるとのことだけど。

都会で住んでるうちに感じる、現代社会の嫌な部分をまともに受けた人やから、あんな名作が書けたんだね。

ちなみに倉本さん、脚本、演出までやる。ほんと、マルチな人だよね。




倉本さんが北海道の富良野に開いていたのが、『富良野塾』

劇団に携わる若者を育てるために、私費を投じて運営しておった。

ここに住む劇団員は、夏の間は農家の畑仕事を手伝いながら、生活費をかせぎ…

冬は、公演に向けて、劇団の練習に励むという生活を送っていた。

プロの劇団員として旅立った卒業生も多い。

リーゼン、高校でるときに、脚本家になりたくて、修行したいと思い、入塾しようと思い、応募したのだが、ダメだった。

ハードな家庭で過ごしてきたことでの、自分の悩みの深さを抱えきれなくなって、『表現できる』という傲慢さで、『吐き出したい』という弱さを隠したい…まぁ、虚勢を張っていたのを、読まれたね、倉本さんに。

ほんとの自分と、闘ってないから、まだまだ深みが足りないみたいなコメントを頂きまして…その通りでござんす。




それにしても、合わせなきゃいけないもんが、多すぎて、流されないで生きていくの、むずかしいよなぁ。現代の世の中は。

自分自身のよさや生まれてきた意味を、感じながら生きている人、どんだけいるのかな?

リーゼンも、若い頃は見失うこと多かったからな…富良野塾に入塾したかったんだと思う。




深い…言葉だよね。

結局、流されてること、多いなぁ。




今回は、倉本作品のさわりだけ。

次から、『北の国から』シリーズのお気に入りやら、リーゼン評などを、書いていくね。

では、またね。




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