2016年10月21日金曜日

世の中にあふれるウソ その8 聖徳太子はいない(1)

さて、いよいよ世の中にあふれるウソ その8 聖徳太子について語ろうか。このあたりの話については、断定形で語ることとするよ。なぜなら、その7までで語ってきたように、人任せの歴史観や史実がいかにウソにみちているかを述べてきたし、かりに推論であるとしても、自分に見えている現象そのものが、史実であるといえるからだ。簡潔に言えば、入ってくるニュース自体が誰か(だいたいが施政者)に都合のいいウソてんこ盛りのソースだからだ。ならば、自分の感性を信じ、中立性をもつ、ニュースソースから自分なりの歴史観を持つしかないといえるから。「こうあってほしい」という期待感は、できるだけ持たず、冷静に分析しなければいけないと思う。

さて、今回のテーマの主人公、「聖徳太子」である。実は、教科書にも、『聖徳太子 』とは書かれず、今は『厩戸王』と記載されている。ここにも事実が現れているのだが、「聖徳太子はいない(1)」では、まず次の点を断じようと思う。
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①いろいろな施策を施したのは『秦河勝』であり、聖徳太子=厩戸王ではない。

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秦 河勝

①の解釈について。
 △聖徳太子という名前について…さも神々しいと映る名前なのだが、これが貴人につけられた名前となると、全く逆の意味を持つ。キーワードは「徳」。貴人について、名前は生存中ではなく、死後、名前がつけられ、それが史実として残る。(諡号というのだが)天皇しかり、貴族しかり。一般庶民の戒名も同じ意味合いのもの。
さて、「徳」について。「徳」のついた天皇、聖徳太子の時代からそこそこ現れる。

36代 孝徳天皇→ 都を難波長柄豊碕宮に勝手に遷都され、間人皇后も連れて行かれて一人ぼっちになってしまった。

48代 称徳天皇→天武天皇系最後の天皇 皇統が天智系に移る

55代 文徳天皇→藤原良房の圧力で、愛する惟喬親王に譲位できず死去

75代 崇徳天皇→保元の乱に敗れ讃岐に配流。後に皇室に祟りを為すと明言し死去

81代 安徳天皇→壇ノ浦で水死
 
84代 順徳天皇→承久の乱で佐渡に流されて現地で死去

82代 顕徳院(後に後鳥羽院に改められる)→承久の乱首謀者。隠岐の島へ配流。徳の字を奉っても都で怪異現象(後高倉院の血統が断絶するなど)が続出したため、おくり名を後に後鳥羽に改められる。

コレだけ見ても、「徳」をつけた天皇についてはうらみを持って死んだ方や、祟りを起こして民衆を恐れおののかせたために神格化させ、霊を鎮魂させることにつながった…つまり「徳」という名をつけ、特に上位の神として神格化させる必要があった…ような、ろくな死に方をしていない天皇につけられた文字なのだ。

と、いうことは。当時、天皇家の一員、 厩戸王が『聖徳太子』として記されとる、ということは…厩戸王、ろくな死に方をしていない。というか、その死には陰謀がある。それが何か、ということだ。

続きは 世にあふれるウソ その9 聖徳太子はいない(2)にて。
では、またね。


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