さて、今回のテーマの主人公、「聖徳太子」である。実は、教科書にも、『聖徳太子 』とは書かれず、今は『厩戸王』と記載されている。ここにも事実が現れているのだが、「聖徳太子はいない(1)」では、まず次の点を断じようと思う。
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①いろいろな施策を施したのは『秦河勝』であり、聖徳太子=厩戸王ではない。
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秦 河勝 |
①の解釈について。
△聖徳太子という名前について…さも神々しいと映る名前なのだが、これが貴人につけられた名前となると、全く逆の意味を持つ。キーワードは「徳」。貴人について、名前は生存中ではなく、死後、名前がつけられ、それが史実として残る。(諡号というのだが)天皇しかり、貴族しかり。一般庶民の戒名も同じ意味合いのもの。
さて、「徳」について。「徳」のついた天皇、聖徳太子の時代からそこそこ現れる。
36代 孝徳天皇→ 都を難波長柄豊碕宮に勝手に遷都され、間人皇后も連れて行かれて一人ぼっちになってしまった。
48代 称徳天皇→天武天皇系最後の天皇 皇統が天智系に移る
55代 文徳天皇→藤原良房の圧力で、愛する惟喬親王に譲位できず死去
75代 崇徳天皇→保元の乱に敗れ讃岐に配流。後に皇室に祟りを為すと明言し死去
81代 安徳天皇→壇ノ浦で水死
84代 順徳天皇→承久の乱で佐渡に流されて現地で死去
82代 顕徳院(後に後鳥羽院に改められる)→承久の乱首謀者。隠岐の島へ配流。徳の字を奉っても都で怪異現象(後高倉院の血統が断絶するなど)が続出したため、おくり名を後に後鳥羽に改められる。
コレだけ見ても、「徳」をつけた天皇についてはうらみを持って死んだ方や、祟りを起こして民衆を恐れおののかせたために神格化させ、霊を鎮魂させることにつながった…つまり「徳」という名をつけ、特に上位の神として神格化させる必要があった…ような、ろくな死に方をしていない天皇につけられた文字なのだ。
と、いうことは。当時、天皇家の一員、 厩戸王が『聖徳太子』として記されとる、ということは…厩戸王、ろくな死に方をしていない。というか、その死には陰謀がある。それが何か、ということだ。
続きは 世にあふれるウソ その9 聖徳太子はいない(2)にて。
では、またね。
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