さて、リーゼンの歴史教科書の嘘っぱちぶり、(特に肖像画)今回が一応、最終回にしようかな。ほんとはまだまだあるけど、また気が向いたら、やろうかな。世界史編は前の通称『黒ブログ』でやり、いろんなとこから目をつけられたけん、今回はやりませぬ。
さて、上の肖像画、誰でしょ?
『西郷隆盛』
もちろん、リーゼンの時代の教科書には肖像画&西南戦争のことについて、掲載されとりますよん。
が!肖像画も、実は西郷隆盛という名前さえ違うとしたら、どうだぁ٩( ᐛ )و
さて、上の肖像画、誰でしょ?
『西郷隆盛』
もちろん、リーゼンの時代の教科書には肖像画&西南戦争のことについて、掲載されとりますよん。
が!肖像画も、実は西郷隆盛という名前さえ違うとしたら、どうだぁ٩( ᐛ )و
実は暗殺を怖れた西郷隆盛さん、写真はおろか、肖像画も残っとらん。そこで…
西郷従道(さいごう じゅうどう)という、西郷隆盛の弟の写真とね…
大山巌(おおやまいわお)という、西郷隆盛の従兄弟の写真とを、エドアルド・キヨッソーネというひとが、空想で合成しましてね…できた版画なのですよ。うわさでは、最先端の写真合成(とはいえ、切り貼りだと思うけど)で作った写真という話もあるが。
ウィキペディアでは、キヨッソーネが親戚を参考に想像で描写した版画と書いてあるな。
ウィキペディアでは、キヨッソーネが親戚を参考に想像で描写した版画と書いてあるな。
名前についても、西郷隆盛って、親父の名前で…ほんとは『西郷隆永』なのにね。諸説あるけど、一番有力なのは、薩摩方言原因説。明治になり、新しく戸籍を作るとき、役人が聞いて回った際に、名前を音読みすることがはやっており、伊藤博文も、「いとうはくぶん」になったりして。
西郷のところに役人が来たときも、格好つけて「りゅーえー」といったのが、薩摩弁なので、「りゅーせー」と聞こえ、それで役人が適当に漢字を当てたらしい。
彼の弟、従道もホントは「隆道」なのに、「りゅーどー」といったら「じゅーどー」に誤解されたらしい(笑)
西郷のところに役人が来たときも、格好つけて「りゅーえー」といったのが、薩摩弁なので、「りゅーせー」と聞こえ、それで役人が適当に漢字を当てたらしい。
彼の弟、従道もホントは「隆道」なのに、「りゅーどー」といったら「じゅーどー」に誤解されたらしい(笑)
ともあれ、現在の教科書には、西郷どんの肖像画などは、ござりまぬ。なんだかなぁ。
最後は、江戸時代の身分制度、『士農工商』
これ、ウソなのだ。今の教科書、どこにもない。
え〜なんで?
これ、ウソなのだ。今の教科書、どこにもない。
え〜なんで?
『士農工商』という言葉はあったらしいけど、『いろんな身分の人、男女問わず』という意味らしい。
もうね、教科書は信用しない!まずは自分の足で調べないとね。
このことは、神社研究に通じるな。何しろ、見てみないと気づかないよ、文献なんかではね。周りの地名や周りの神社なんかからわかることも、多々あるしね。
出雲大社や、津島神社なんかの封じられた神様が祀られてる神社なんて、実際に参道を歩くと、違和感を感じるわけでね。ガイドブックには書いてないぜ〜
このことは、神社研究に通じるな。何しろ、見てみないと気づかないよ、文献なんかではね。周りの地名や周りの神社なんかからわかることも、多々あるしね。
出雲大社や、津島神社なんかの封じられた神様が祀られてる神社なんて、実際に参道を歩くと、違和感を感じるわけでね。ガイドブックには書いてないぜ〜
ま、出雲大社に行くことあったら、少しはヒント差し上げるので、一言声かけてくださいまし。
いよいよ、次こそは聖徳太子だぞ!乞うご期待(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
では、またね。
いよいよ、次こそは聖徳太子だぞ!乞うご期待(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
では、またね。
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